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SNSにおける自分のスタンス。

noteやTwitterを細々と続けて、少しずつ繋がりも増えてきた。


私は匿名アカウントではないため、リアルに繋がりがある人もいる。

初めはリアル以外の繋がりができるとは思っていなかったが、コメントをくださったり、コメントをしたりと、緊張せず気軽にやりとりできる人も徐々に増えてきて、単純にうれしいなぁ、楽しいなぁと思っている。


昨日、SNS上の距離感について、フォローさせていただいている綺羅さんが記事を書いていた。

相手に合わせすぎず、自分にとって居心地のよい距離感を決めて、軸をぶらさずに交流されていることがわかる。すごいなぁ。かっこいい。

ちなみに綺羅さんはコメントをくださる時はいつも丁寧。私がコメントした時の返信もとても丁寧。いつも気持ちよく交流ができて楽しい。ありがとうございます…!

私の場合、「自分の成長と引き替えに、自分の心身の安定を削ってでも、相手の指摘や批判を受け止めるか?」と考えた時に、それは嫌だと感じました。

これ、すごくわかる。

私も以前、自分にとってはあまり心地良くないコメントをもらったことがあって。そのことを思い出した。そのときは、けっこう悩んだ。

指摘や批判も一つの意見だから、排除はしたくない。
でも明らかに、自分の心はざわざわしている。
少なくとも、いい気持ちはしない。

でもここで何も反応しなかったら、自分は誰かを排除していることになるんだろうか。
自分にとって都合のよいものしか受け入れないのはどうなんだろうか、と考えてしまった。
そのコメントにも、見方によっては一理あるし。


けど、やはり疲弊していった。
もらって嬉しいはずのコメントが、怖くなった。
「コメントしました」という通知が来ると、びくっとする。

リアルの友人に相談したところ「自分で線を決めた方がいいよ」とアドバイスをもらった。
ここまでは受け入れるけど、ここからは受けれないと。
それは、自分の心を守るために。

その時に決めたのは、「私の文章に関して、ほんの少しも理解を示そうとせず、一方的に押しつけてくる批判や指摘はスルーする」ということ。


私は、誰が書いた文章でも一定の敬意は払うべきだと思っている。

それがどんなに自分とは真逆の意見でも、賛同しかねる意見でも、「その人がそう考えている」ということは守られるべきもの。
それについては、否定しちゃいけない。
その上で「私はそうは思わないなぁ」と思うのは、自由。

「私はそうは思わない」ということも、私自身はあえて伝える必要はないと思っているけど、最低限の敬意が感じられる上での意見については、受け入れられる。
なるほど、そういう意見もあるのかと。


ただ私はやはり、SNS上の議論は好きではないし、ここで議論したいとは思ってない。

テキストだけで、限られた情報だけで相手の真意を汲み取って議論するなんて無理だから。

Twitterのリプライで延々と議論しているのを見かけると、不毛だなぁ…と思ってしまう。伝わり合いっこないのに。単にあげあしを取り合っているように見える。


話を戻そう。なので私は、敬意がないと感じられる、極めて一方的な批判や指摘がコメント等であった場合は、申し訳ないけれどスルーする。


自分勝手だけど、楽しく続けたいから。
顔の見えない誰かにビクビクして過ごすのは嫌だから。

自分のスタンスを決めて、毅然と振る舞う。
それが居心地よくSNSを続けていくコツなんだと思う。


ありがたいことに、今はあたたかいコメントをいただくことが多く、心がざわつくことは少ない。

もちろんコメントに何を書くのかは自由だ。
でもnoteにいる人たちは少なくとも、書くことや創作することが好きな人たちばかりなはず。

であれば、コメントをするとしたら、書くことが好きな気持ちを後押しできるような、お互いに励まし合えるような、そんな言葉を贈りあえたらいいな、と思う。

そんな方々とつながっていられたら、うれしい。


綺羅さん、引用させていただきありがとうございました。



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