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小さく理解し合うために。

対話の日。第九回目は、ジュンイチさんのこちらのnoteです。

はじめの描写がとても素敵ですね。冬の朝の寒さ、ホットミルクのあたたかさ。日常の中にある何気ない風景が、一つひとつ丁寧に描かれていて。ジュンイチさんが生まれた場所では、いつもこうして過ごしていらっしゃったのかなぁ…と伝わってきました。

可能性という言葉が取り沙汰されたのは、今から20年くらい前だったと思う。
この言葉を聞いても、ピンとこなかった。
信じる余地なんてなかったし手探りしていくことしかできなかった。でも、今はそれで良かったと思ってる。ただなんの考えも無しに大学にでも行こうものなら、それこそ無駄だったかもしれないから。

手探りしながら進んだこと、考えなしに進路を決めなかったこと。「可能性」という言葉にピンと来なかったとありますが、心のどこかで可能性を信じていたのではないか…と感じました。可能性にを信じる余地はないと頭では思っていても、無意識に信じていたというか。それがジュンイチさんの行動につながっているんじゃないかな…と。

初めて貰ったボーナスはそれまで学生のとき、バイトしていた何倍もの額がそこに入っていて。何もできない自分が手にすることに違和感を感じた。

すごくわかるなぁ…と思いました。自分の貢献や生み出した価値に見合ってないんじゃないかと感じてしまうんですよね。。

お金なんかよりやりたいことを優先したかった。どこでもやれそうな自信だけはなぜかあった。

母に咎められることはなく。
『あなたの人生だから、好きにしなさい。何もしてあげれないから。好きに生きなさい』と、学生の頃から何度も言われた。

お母様の言葉だけをピックアップすると、前に進むことを肯定し後押しする言葉に見えます。けれどジュンイチさんにとっては、きっと何かひっかかっていたんですよね。

26歳。一人で専門学校へ行くことを決めたとき、母から本当に何も言われないことに何かがピークに達した。
なんで何も言ってくれないんだと。心の中で何かが爆発していた。心配の言葉も、いってらっしゃいも、背中を押すような言葉も、何一つ、なんの気配もない。
なんでもいいから安心する材料がほしい。

本当に「なんでもいいから」何か言ってほしい、というお気持ちだったんですよね。。応援してくれたら嬉しいし、反対されたら「どうしてこの道を選びたいか」と自分の気持ちを再度確認することもできる。でも何も言われないと、自分と自分との対話で答えを出さなきゃいけない。そしてそれに責任を持たなきゃいけない。それがジュンイチさんにとってはとても重く感じてしまうことだったんですよね。。

出発前の夜。全てがいつもと同じだった。溜まりかねて「なんかさ、いやなんでもない」を繰り返した。
次第にイライラして、ゴチャゴチャになっていた。どうして何も言ってくれないんだ。もおすぐ自分がいない毎日が来るのに。
ついには『なんで分からないの!?』と言ったことを何度もキツく言って。泣かせてしまった

お母様の様子に対して、ついに不安をぶつけてしまった。そんな夜のことですね。「何も言わない」のは自分に関心がないからではないかという不安であるように感じました。そんな気持ちになることは、とても自然なことだと思いました。。

これは私の解釈なのですが。はじめの方に「どこでもやれそうな自信だけはなぜかあった。」という部分がありましたが、お母様はどことなく自信があるジュンイチさんを感じていたのではないでしょうか。根拠が明確にあるわけではないけれど、この子は大丈夫。となぜか思える。だから好きに生きなさいという言葉を伝えていた。真意はもちろんわからないのですが、そういう可能性もあるのかな…と感じました。

昨夜のことがあったからなのか、頭に妙なスッキリ感があって。数週間ぶりによく眠れた。不安はまだ大きかったけど前を向いて出発することができた。

不安を伝えられて、よかったです。ジュンイチさんを信じているからこそお母様が何も言ってなかったにしても、ジュンイチさんから不安を伝えられて、お母様としても何か気づきがあったんじゃないか…と思いました。それがたとえ表に出ていなかったとしても、きっと何か感じることはあったはずです。と思いたい。

悩みも、不安も無くならない。そんな人はまずいない。対話なく解決することは難しいこと。誰かと話して自分の外に出してそれは違うと返ってきたり、いいんじゃないかなってなったりして小さな理解をし合うことは当たり前すぎて気づきにくいことだけど、とてもとても大切。

ここ、すごくすごく共感しました。「小さな理解をし合うこと。」確かにこれを日常の中で自然にやっているのかもしれないですね。自然な営みの中にあるから気づきにくいけれど、なくなると「大丈夫なのかな」と不安になったりして。

解決する目的じゃないにしても、誰かと話すこと、誰かの意見や考えを聞くことって、とても大切なんだなぁ…と。

思えば、ちゃんと話がしたかったな。

きっとこの部分が、ジュンイチさんが心からお母様に言いたかったことと、不安につながる部分だったのかなと思いました。「好きにしなさい」と言われると、そういう意図ではなくても、突き放されたように感じてしまう。話をすることも拒否されていると感じてしまう。自分の人生のことは自分で考えるし、責任も持つけれども、せめて話がしたい。話を聞いてほしい。という思いだったんじゃないか…と伝わってきました。

ジュンイチさん、対話させていただきありがとうございました。

ジュンイチさんの気持ちも、お母様の気持ちも、想像しながら私なりに解釈して書かせていただいたのですが、違うとか、不快にさせてしまう部分があったら、申し訳ないです。

互いの気持ちや考えていることは、やはり言葉にしないと伝わらないんだなと。きちんと言葉にして小さく理解し合うことは大切なんだな…と気づきました。
その理解には「相手のこと」はもちろん、話をしたことに対する相手の反応を受けて「自分のこと」をさらに深く理解していく…という面も含まれると感じました。ジュンイチさんに少しでも何か届くものがあったならとても嬉しいです。



対話の日。
これまで9名の方と対話をさせていただきました。
本当にありがとうございました。




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