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「名前がつけにくい関係性」も、大切かもしれない。

外出自粛がいったん解除となり、久しぶりに美容院に行った。

同じような考えのお客さんが多かったらしく、予約はしばらくパンパンだと美容師さんが言っていた。

定期的に通いたい理由。

その美容院は1年前くらいから行っていて、歩いて20分くらいで行ける距離にある。

美容院を転々としていた時期もあったが、今はそこに定期的に行っていて、これからも通いたいな、と思ってる。

選んでる理由は、仕上がりの良さや家からの近さ、値段の丁度よさなど、総合的にいいと感じているからなのだけれど、もう一つ大きな理由としては、美容師さんの話しやすさ、があるかもしれないなと。

すぐ雑誌に手をのばしていたが。

美容院に行く時、美容師さんと話すのが好きな人、話しかけられるのは苦手で雑誌を読んでいる方が楽だという人、どちらもいると思うが、私はどちらかと言うと後者だった。

話すことが嫌というわけじゃない。でも、どう反応したらいいかな、とか、沈黙があると何か話さなきゃ、とか、いらぬ気を遣ってしまう。
そんな気遣いに疲れてしまい、だったら雑誌でも読んでる方がいいや…と、話しかけられる前に早々に雑誌を手に取ってしまうことが多かった。

でも、今行っている美容院の美容師さんは、話していて苦じゃない。
自分から話しかけることもできるし、ずっとおしゃべりしていられる。

最近のニュースとか、食べ物とか、テレビのこととか。
一つのことをものすごく深く話すでもなく、あっちいってこっちいって、でもわりとテンポよく進んでいく感じ。

すごく不思議な感覚。
誰と話す時でも「雑談」みたいなものがあまり得意でないと思っていたので、あ、こうやっておしゃべりできるんだ、とか、たわいもない話って結構楽しいんだな、と思ったりすることが、新鮮だった。

「ちょうどよい」のかもしれない。

なんでこんなに気楽に話せるんだろう?と理由を考えてみた。

一つはたぶん「相性」。

今まで出会った美容師さんと、全員が全員こんなふうに話せていたわけじゃなかったので、テンポ感とか、出す話題とかがきっと合うんだなと。

もう一つは、美容師さんとの「距離感」。

美容師さんは何か月かに一度、髪を切る時にお世話になる人。
それ以外の関わりはない。

深すぎず、かといって浅すぎるわけでもない。
長期間通えば、一定の関係性はできてくる。

このくらいの距離感ってすごくちょうどよくて、たわいもない話がしやすいのかな、と思った。

関係性に名前がつけられなくても。

人が、誰かと築いている関係性って、それぞれだ。

親、兄弟姉妹、祖父母、先生、友達、上司、同僚…。
こういう誰かとの関係性の中で生きているし、生かされている。

美容師さんは、上に挙げたようなカテゴリーの中には当てはまらない。
カテゴリーで分けたら「時々会う人」みたいになるんだろうか。
どちらにしても「美容師さん」と「お客さん」という関係でしかない。

でも、メインカテゴリーには当てはまらない、はっきりとは名前をつけにくい関係性もわりと大事なんじゃないかと、ふと思った。

いろんな種類の関係性の「線」。

名前をつけにくい関係性って。

私の場合は美容師さんだけど、人によっては近所の人かもしれないし、マンションの大家さんかもしれないし、犬の散歩で会う人かもしれないし、よく行くお店の店員さんかもしれない。

顔は知っていてあいさつ程度、よりももう少し踏み込んだ関係性の人。

友達みたいに深い話ができるわけじゃないけど、全く関係性がないわけでもない人。

それくらいの距離感の方が、あえて話せる話もあったり、ちょっとほっとできたりすることもあるのかもしれないな…と。

自分から人に向かってのびている関係性の線があるとしたら。
それが太かったり細かったり、近かったり遠かったり。
いろんな線があっていいのかなって。
いろんな線がある方がいいのかなって。

全員と太くつながっているわけじゃなくても。
全員と近くつながっているわけじゃなくても。

いろいろな種類の線が多ければ多いほど、だんだんと網の目のようになっていき、それが人を支えるネットのような役割を果たすのかもしれないなと、そんなことを思った。


そんなわけで、今日はここまで。


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