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生き方は決めていないが、死に方は決めている

私は、死ぬその時は「"概ね"いい人生だったな」と思って死にたい。どんな生き方をしたとしても、やり残したことや、行けなかった場所など心残りはあるだろう。だから"概ね"だ。

『概ねいい人生』にするために「ありがとう」と「ごめんなさい」はすぐに言おうと決めている。自分のお葬式で「結局お礼を言ってもらえなかったな」「謝ってくれなかったな」と思う参列者が一人もいないのが望ましい。

それから、けんかは今日中に終わらせるよう心がけている。けんかが長引いたまま寝てしまったとして、その後二度と起きないかもしれない。そんな後味の悪い死に方はしたくない。

褒めるのも、すぐその場で。いいと思ったことは本人にも周りにもおおっぴらにしておけば、自分が死んだ後にもいい印象が残りそうだ。逆に注意やお願いがある時も早めに言う。心に留めてもやもやしたまま死にたくない。

自分が病気になり一時期は死を身近に感じたこともあった。治ってきて気力が戻り、生き続ける意欲が湧いてきた頃、生きるということは死を包含しているのだと気づいた。人間の致死率は100%だ。

死を主体的に捉えることは、主体的な生き方を決める指針になる。

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