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易きに流れた自分を認める

常勤の仕事を始めて2ヶ月。その間も、マクラメ教室は月に3枠、継続してレッスンを開催している。

ダブルワーカーになってからというもの、マクラメの新しい教材はまだ1個も作れていない。もちろん動画も作れてないし、SNSでの積極的な発信も(今までより更に)できてない。

マクラメに割く時間が圧倒的に減ってしまった。それは予期してはいたけれど。

私が雇われる理由

常勤で働くことを決めたのには理由がある。

最大の理由は夫の病気。今は随分良くなったけど、そろそろ色々不調があってもおかしくない年齢ではある。夫がこれからもずっと元気に稼いで養ってくれる保障はないということを、夫の闘病を通して切実に感じた。

加えてコロナだ。新型コロナ感染症のせいで仕事を失ったり収入が減った人がどれほど多いか。幸い我が家の家計には今の所大きな影響はない。けれど、感染症だけでなく、何かの理由で我が家も生活の糧を失うことがあるかもしれない。不測の事態というのは本当にあるのだということを実感した。

そんなことを考えていた時、たまたま知人が紹介してくれた求人。年齢や経験を問わず、ダブルワークOKだという。

パートで働こうかと思っていたのだが、よく考えてみれば自分の年齢から言って、経験のない常勤の仕事に就けるチャンスはそう多くない。そうなれば、決断は早かった。

幸い採用されて今に至る。これで、我が家の家計については一応担保できた。

人は易きに流れる

一方で、マクラメ教室が今までのようにはできなくなるだろうということに迷いや寂しさはあった。しかし、同時に想像もしなかった感情も確かに湧いた。

それは安堵だ。

恥ずかしながらマクラメ教室で得られる収入はお小遣い程度。とてもじゃないが家族を養えるレベルではない。これでも私なりに努力はしてきたつもりだが、努力も工夫も勉強も熱意も、何もかも全く足りないのだろう。

曲がりなりにも自分で始めた教室だ。成長させたい気持ちはある。マクラメという『大好き』を仕事にして、それで生活できたらどんなに幸せだろうとも思う。

そう思いつつも、実際には就職して安堵感を感じ、そのことに罪悪感を感じている。

私は楽な方に逃げたのだろうか。きっとそうなのだ。すごく頑張らなくてもそれなりに収入が保障される。そのことに安んじてしまったのだ。

本当なら、雇われ仕事をしながら個人事業をするなら、ものすごい努力が必要なはずだ。なのにそれをしない私は、自分の事業を成長させることを諦めてしまったのだろうか。マクラメ教室を通して人を幸せにすることを止めてしまったのだろうか。

もし諦めてしまったのなら、いっそ教室を畳んでしまおうか。辞めてしまって、雇われている方の仕事に邁進しても、誰も困らないだろう。そんな考えが頭をよぎる。

すると、同時にこうも思う。

辞めてしまったら自分の幸せな時間がなくなる。事業だとか収入だとか、関係ない。やっぱり、自分のためにやめられない。

結局、辞めたいのか、辞めたくないのか。正直自分でも分からない。

決めないという決断

思いもよらず湧いてしまった「安堵」という感情に目を背けず、多少の罪悪感を抱きながら「とりあえず現状維持」。それが今の私の決断だ。

どちらの仕事にも自分にとってのメリットがあり、どちらも捨てがたい。けれどふたつのことをすれば、ひとつに傾注するよりはエネルギーが費やせなくなってしまう。そんな中途半端のままで、しばらくは進めてみよう。

葛藤がある時、決めなければならないと考えがちなのだが、今回は決めないことに決めた。

易きに流れたのだとしても、そんな自分も愛してみようじゃないか。

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