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誕生日に欲しいもの

今日、誕生日を迎えた。
今年は日曜日だからゆっくり過ごせるということで、イベント事にまめではない夫もさすがに何もしないわけにはいかないのか、数日前から「何が欲しい?」「どっか行きたいとこないの?」と気遣ってくれた。

言われて、返事を考えるが止まってしまう。
欲しいものがない。
アクセサリー、服、靴、バッグ、その他装身具の一切に興味がないし、化粧品など言わずもがなだ。食への興味ももともと薄く、外食やおいしいケーキ屋さんに行きたい気もしない。美味しいお酒を飲みたい気もするが、弱いので飲んだ後が辛い。映画も好きだけど、日曜に家族で行くのはいつものことで、プレゼント感が足りない。強いて言えば財布が買い替え時なのだが、使い勝手にこだわりたい物なので自分でゆっくり探したい。一緒に買いに行ってその場で決めなければならないのは何となく不自由だ。

話は変わるが、最近『図書館戦争』シリーズ(有川浩・著)を1巻から続けて読んでいる。子どもたちのおススメで読み始め、言論の自由を巡る検閲vs図書館という骨太な設定と、軽やかな人物描写が面白くてはまってしまった。純情乙女な主人公たちの、妙に古風で進展しない恋愛がもどかしくてムズムズする。イマドキの中高生、いや自分の若かりし頃でさえ、もっと恋愛ハードルが低かったのじゃないか。自分にこんな時代があったとしても数十年前のことで、食品ラップくらい薄い記憶になり果てている。

気づけは平均寿命の半分を超えた。
毎日どこかしら体が痛い。
子どもの様子を伺ったり、夫の体調を気にかけたり、親の様子を見舞うなど、家族への目配りをし、仕事に行き、家事を片付ける。
それらの様々な負担から解放されることはなく、「年なんてただの数字」と強がることも不似合いな年齢だ。身体のみならず、心理的、社会的にも熟しつつあるのを認めざるを得ない。
年を重ねることに抵抗も恐怖もないが、年を重ねることは得るばかりではなく失うものがあることもひしひしと実感する。

だから私は『図書館戦争』の人物たちに嫉妬しているようなのだ。使命感に燃え、仕事を通して成長し、愛する人に胸を焦がす、そんな日々に。
そして、若さが欲しいと、誕生日プレゼントの主旨と真逆な願望に気づいてひとり失笑している。

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