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中学1年の1学期の終わりに、母が亡くなった。 忌引が終わって2~3日後から夏休みだったと思う。 長い夏休みは悲しみにくれて過ごしたかといえば、そうでもない。 母はそれより4年くらい前から入退院を繰り返していたので、夏休みにいないのも私にとってすでに当たり前のこと。昼間はいつもの夏休みのように自分のペースで適当に宿題を進め、妹とけんかして過ごした。 私たち姉妹が夏休みの間は、祖母や親戚が時々手土産を持って来てくれたり、家に招いてくれたりした。母を亡くした子どもたちが悲し
『4日は京都、5日は奈良に行く予定です。ご都合よければ、お昼でも。』 って!年賀状に書かれてもさ、その日は仕事だよ。先生ってば!! と、年賀状に向かって毒づく。 小学5~6年の時の担任H先生は、干支でいえばちょうど一回り差の若い先生だ。時々怖い先生、でもどちらかと言うと楽しい兄貴分。 その頃は、これから始まる暗黒時代のプロローグ期だった。母はそれより数年前から闘病していたが、小5になってすぐの春休み、母から、白血病であること、長くは生きられないことを聞かされた。 母