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母のことと子ども時代のこと

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夭逝した母にまつわる思い出とか、自分の子どもの頃のこととか。
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2021年1月の記事一覧

翼をくださいに思うこと

子どもたちが『翼をください』を歌っている。しかも気持ち良さそうに。それが耳障りで仕方がない。あからさまに歌わないでとは言えないのだが、大嫌いな歌なのでトイレに逃げ込んだりして避けてしまう。 私が中学に入った時には、母の容態はだいぶ悪化していたが、まさか本当に死ぬとは思っていなかった。それが亡くなってしまい、衝撃的な現実に否応なしに向かい合わざるを得なくなった。 『翼をください』は、中学1年の時に学校の全体合唱で歌うものとして、校歌の次に覚えさせられる歌だった。母を亡くした

妹たちと仲良くなれない本当の理由

【妹3人】対【わたし】の対立構造がある、ということを以前書いた。 対立の理由は『間取りにある』と書いたが、本当はそれよりも大きな理由がある。それは妹たちが私を怖がっていたからだ。この事実に目を背けるのはうそをついているのと同じだ。 中学〜高校時代の私は、家の中では荒れ狂う嵐そのものだった。テーブルをひっくり返し、妹の髪をハサミで切り落とし、頭から食べ物をかけたり、熱々のトーストを顔に押し付けたりした。家にいると、イライラが抑えられず妹たちに暴力をふるった。 亡くなった母

実録!生活習慣はこうやって身につく

お風呂に入るのはたぶん月に1回くらいだった。本を読んだり、テレビを見たり、兄弟で遊んだりしているうちに時間が経ち、お風呂に入らずに寝る。お風呂を思い出した時には入ったが、思い出すのが月に1回くらいだったのだ。 夜になると着ていた服を脱いで、畳んで枕元に置きパジャマに着替える。朝起きたらパジャマを脱いで、畳んでおいた服を着る。毎日その繰り返し。下着はいつ替えていたか記憶にない。たぶん週に1回くらいだったと思う。服は着続けていると袖口は擦り切れてボロボロになるし、全体的にほこり

仲良し姉妹という仮面の下で

よその人に自分の妹の話をすると、「妹さんとは仲がいいの?」と決まり文句のように聞かれる。もちろん「そうですね〜」と笑顔で答える。が、内心では複雑だ。 妹たちは皆、私のことを『姉ちゃん』と呼ぶ。私は長女だからだ。名前では呼ばれない。ところが、3人の妹たち同士は名前で呼び合う。○○姉ちゃんなどと、名前に姉ちゃんを付けたりしない。なぜか。長女としてリスペクトされていたから、だといいのだが、そうではない。 そのわけは実家の間取りにある。私の部屋は6畳の一人部屋だった。ところが、妹

自然を前にすれば人の小ささを思う旅になる

そこにあるのは。 鬱蒼とした森。下生えの笹。 冷たい水が大きな岩の間をすり抜けるように勢いよく流れる清流。その中に潜むイワナとウグイ。 ニホンカモシカのかん高い鳴き声。ツキノワグマのまだ温かい糞。ウサギのコロコロした糞。 ホタル。顔にぶつかるほどたくさんの赤とんぼ。耳をすませば聞こえてくる、天使のようなカジカの声。 色んな色、色んな形、色んな湿り具合のきのこ。いが丸ごとの栗。 はっきりと分かる天の川。たくさんの北斗七星。 父の生まれ故郷は舗装されていないくねくね

お母さんは女神

わたしはある日37歳5か月になり、その日以降もどうやら死にそうではなかった。その時初めて、『母にできなかったことを、わたしは成し遂げた』と思った。 37歳5か月というのは母が亡くなった年齢だ。その時私は思春期の入り口に立ったばかり。親にもなにやら賢しいことを言うようになった、という程度で反抗なんてまだできない頃だった。 母は絶対的な善の存在だった。きれいで優しい母さん。お料理もお裁縫も上手だし、英語が話せてかっこいい母さん。明るくていつも笑ってて、でも涙もろくて、大好きな

手編みのカーディガンは父の宝物だった

「ゆきこ、これ覚えてる?」父がそう言って見せてくれたカーディガンは、私が中学1年の時に編んだものだった。かれこれ30年以上も前だ。大切にしまわれていたらしいそのカーディガンは、かすかに防虫剤の匂いがした。 父は、夏に母が亡くなると、付き添いに病院へ行く必要がなくなり、家に帰ってくるようになった。それまであまり行けなかった仕事上の接待や職場の飲み会などにも行けるようになった。 初めは仕事で忙しくしているのが嬉しそうだった。今まではできるだけたくさん母のそばにいる時間を作るた

不思議な体験その1・死ぬ前の母に会う

夜、玄関の外に誰かが居る。いぶかしんで玄関まで出ると、そこには入院しているはずの母が立っていた。 外出の許可が出たなんて聞いてなかった!驚かせようと思って内緒にしていたのだろうか。何にせよとても嬉しい。 母に、早く中に入ってと声をかける。とにかく家の中に入って欲しい。一緒に明るい部屋で談笑したい。しかし、入れないのか、入りたくないのか、母は悲しそうな顔で頭を横に振る。 家には少し寄っただけで、どこかに行かなければならないのだろうか。どこかに行く途中なのかと訊ねる。けれど