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仲良し姉妹という仮面の下で

よその人に自分の妹の話をすると、「妹さんとは仲がいいの?」と決まり文句のように聞かれる。もちろん「そうですね〜」と笑顔で答える。が、内心では複雑だ。

妹たちは皆、私のことを『姉ちゃん』と呼ぶ。私は長女だからだ。名前では呼ばれない。ところが、3人の妹たち同士は名前で呼び合う。○○姉ちゃんなどと、名前に姉ちゃんを付けたりしない。なぜか。長女としてリスペクトされていたから、だといいのだが、そうではない。

そのわけは実家の間取りにある。私の部屋は6畳の一人部屋だった。ところが、妹たちは3人で12畳一部屋を与えられていた。父は家を建てた時、すでに中学生だった私にまず一人部屋を使わせ、他の3人用の広い部屋は後日壁で仕切る算段だったらしい。

ところが、家を建ててすぐに父は遠方へ転勤になり、私たちとの別居を余儀なくされた。家族の様子は時折の帰省や電話で知ってはいても、娘たちの部屋の間取りには思い至らなかったようだ。それもそうだろう、自分が住んでいない家のことなんて知ったこっちゃない。

一人部屋は気楽でいいものだ。好きな音楽をかけ、好きな物を置き、好きなだけ散らかしていた。妹たちはそうはいかなかっただろう。常に誰かの気配がある中で勉強し、物を置くのや着替えのタイミングも、誰かが通ることを考えて決めなければならない。

一人部屋は、自分だけ優遇されているみたいで素直に嬉しかったのだが、働くようになった頃にふと気づいた。【妹3人】対【私】という対立構造ができているではないか。私が何か言うと妹たちは3人がかりで否定する。常套句は「ていうか」だ。「なるほどね。」なんて言ってもらえない。3人の誰かの意見に対して他の2人は自由に意見が言えるのに、私は何を言っても言い負かされる。

3人の間では、長年の一部屋暮らしで培われた阿吽の呼吸があるのに、私は通じ合えない。妹たちの会話はジャズのセッションのようだ。それぞれが個性的でもちゃんと音楽になっているようなまとまりがある。私はそこへ木魚で参加しようとしているような感じで、彼女たちの作るうねりに乗れないのだ。なんてこった。

時はすでに遅し、もう私は成人で、末の妹でさえ高校生。それぞれに自分の考えがあり、私が頭ごなしに怒ってみせても通じはしない。「ていうか!」と逆に怒られるので、惨めな思いをして終わる。

その後、病気になったり結婚したり双子を生んだり、なんだかんだで妹との関係改善に力を注ぐこともできないまま、今に至る。未だに妹たちとの会話(直接の会話はもちろん、普段のチャットでも)は変に距離が遠く、意見を出しあう時には私だけが異端者だ。

事実、私の意見は常識外れの少数派なのかもしれないし、私のコミュ力が低すぎるのかもしれない。でも私は妹たちの仲間に入りたいのだ。それなのに、一枚の壁によって作られた目に見えない溝は、もう埋まることはないのだろうか。

兄弟なんだから仲良くしなさいと言われるが、血のつながりのある家族だから仲良くなるわけではない。むしろ、他人より難しい。

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