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妹たちと仲良くなれない本当の理由

【妹3人】対【わたし】の対立構造がある、ということを以前書いた。

対立の理由は『間取りにある』と書いたが、本当はそれよりも大きな理由がある。それは妹たちが私を怖がっていたからだ。この事実に目を背けるのはうそをついているのと同じだ。

中学〜高校時代の私は、家の中では荒れ狂う嵐そのものだった。テーブルをひっくり返し、妹の髪をハサミで切り落とし、頭から食べ物をかけたり、熱々のトーストを顔に押し付けたりした。家にいると、イライラが抑えられず妹たちに暴力をふるった。

亡くなった母に代わって、妹たちを教え導く母になろうとした。けれど当時の私にとって、導くことは支配することと同義だった。言うことを聞け!と怒鳴り、言うとおりにしてくれないと苛立って暴力をふるった。

母を亡くし、その後しばらくして父が単身赴任になって不在。頼りたい姉は荒れ狂っている。そんな環境で妹たちはさぞかし不安だっただろうし、とても傷ついていたに違いない。お互いに慰め合い、結束を固めて支え合っていたのだろう。私対妹の対立構造ができてもおかしくない。

私が家庭内暴力をふるったのは、私自身が大人の支えを必要とする子どもだったからだ。離れて暮らす父、ひとつ屋根の下に暮らしていても距離のある祖母。甘え下手な長女の私は、家の外に相談する術を知らず、気分の激しい浮き沈みや強い苛立ちにひとりで苦しんでいた。加えて中学時代はいじめにあっていたし、高校は県内一の進学校で勉強について行けなかった。暴力を散々ふるった後で、自室に閉じこもり、後悔に苛まれ、自己嫌悪に陥り、胸をかきむしりたいような苦しさに泣き続け、泣き疲れてボーッとする頭で寝る。そんな精神状態でどうして勉強に身が入るだろうか。

中学〜高校時代、私は本当に苦しかったのだ。そのことを気づいていた大人はいたかもしれない。私を支える手はあったのかもしれない。確かに、生活には困らなかった。衣食住には悩まなかったし進学もできた。けれど、私はまだ10代の子どもだった。傍で見守られ、支えられたかった。慰められ、肯定されたかったのだ。

過去は変えられない。暴力をふるった過去そのものが、その後の自分を責め苛め続けている。今も、妹たちの前では萎縮してしまう自分、何かのきっかけでまた凶暴性が目覚めるのではないかと恐れている自分がいる。暴力をふるった過去は、墓まで背負うしかないのだ。家庭内暴力を振るう人間を擁護するわけではない。けれど、暴力を振るってしまう人間の中には当の本人が傷つき苦しみ、助けを求めていることだってある。

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