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めんどくさいと言うなかれ
久しぶりに友人とその娘に会った。数か月に1度のペースでこれまで会っているが、娘は去年くらいから "ことばらしきもの" を話すようになってきた。
あくまで年齢なりの話者であるが、だいぶ "会話らしきもの" にもなってきている。
家庭内での大人の言動を、あきらかに子どもは真似る。実際子どもは耳に入ってくることばやや会話をすべて聞いていることだろう。それらが彼らの柔軟な新品の吸収力の高い脳の中にどんどん貯蔵されていく。ガチガチの大人の脳であればそれが夢に出てくるくらいで済む話だろうが、子どもには夢も現実も境がない。なんでも口に出してくる。
そしてさらに厄介なことに、人間は "良くないほう" が好きとくる。
それ覚える?と言いたくなることばや表現を子どもはわざと使う。本能的に誰かの気を引きたいというのがあるのだろうか。
ともかく友人の娘は口早に、そして感情をのせたかのように何度かこれを口にしていた。
「めんどくさい」
あのお~お嬢さん、食べて寝て遊んでいるだけの子どもの何がめんどくさいのでしょうか?
と、心でツッコミ入れつつも、これはすなわち周りの大人の真似、あるいは公共の媒体で見聞きする会話などに影響されているだけのはずだ。
母親は自白した。自分がよく使っているという自覚があるようだ。たしかに私も彼女からそのことばをよく聞くように思った。しかもその言い方も似ているから、影響はまず間違いなかろう。
真似というか口ぐせはそのまんまうつる。
と同時に、娘の好きなアニメ(外国産)のキャラクターの口ぐせのようでもあるらしい。
おそらくあと1年もたてば彼女の「めんどくさい」ブームは去り、今回のことは、大人だけが覚えている彼女との "よき思い出" となるだけだろう(と願う)。
もしいつまでも言っているようなら、そのときこそ、このおばさんがほんとうにツッコミ入れてやりましょう。
「めんどくさい」の裏には「ラク」がある。
忙しすぎる大人たちが「ラク」を追求しすぎた結果が今の人類である。
今がいいのか悪いのか、ひとことでは言えないが、反省は必要だろう。
あと必要なのは "休む勇気"。
休んで心身をリセットする、今はそのほうが「ラク」よりよっぽど人類のためになる。
「ラク」に翻弄されている人類を、他の動物はどう見ているのだろう。迷惑しているやつらもいるんだろうなあ。