邪馬台国vs狗奴国ー日子刺肩別命
古事記では、大倭根子日子賦斗邇命(孝霊天皇)は、卑弥呼と推測される夜麻登登母母曽毘売命と日子刺肩別命らをもうけた。以前、夜麻登登母母曽毘売は、漢字の意味から、富山の立山(多知夜麻)で、箸を用いて八卦占を行なっていたと推測しました。つまり、邪馬台国が立山山麓に存在したと考えた。
では邪馬台国南にある卑弥呼と敵対していた狗奴国とはどこか。それが、日子刺肩別命の漢字の意味に隠されている。狗奴はアイヌ語で「黒い」を意味する。黒い人の国。日子刺肩別、この漢字が意味するのは、肩に刺青を施した人である。肩に刺青をいれる風習は、ボルネオ(東南アジア)の風習であり、男子が旅立つ際に、無事を祈って入れる。ボルネオの人々は、色黒である。つまり、日子刺肩別命はボルネオ出身の男子である。ボルネオと倭を結ぶ航路が出来上がった。富山の西南部は砺波。日子刺肩別命は、高志の利波臣の祖とされる。つまり、狗奴国は富山の砺波に当たる。ボルネオは東南アジアにあり古来から米を生産していた。米の輸入と、稲作の導入の意味があった。砺波平野は奈良時代に朝廷に米を納めていたとある程稲作が進んでいた。
更に、考察を進める。日子刺肩別は、四方別とも変換できる。つまり、富山の四方港を東西に分断した勢力といえる。富山西部の新湊にある放生津八幡宮、ここは大伴家持が大分県宇佐神宮から勧請したといわれ、祭神は応神天皇。日子刺肩別命は、豊国(大分県)の国前臣、角鹿海(敦賀)直臣の祖でもある。応神天皇は敦賀で名前を交換した。名前を交換するとはどういう事か、どれほどの事件か、想像してみてほしい。
全て偶然でしょうか。大伴家持は知っていた。この地から、大倭の歴史が始まった事を。故に、この歌を読んだ。
富山大沢野
もののふの 八十娘子(やそおとめ)らが 汲み乱(まが)ふ寺井の上の 堅香子の花
もののふの八十娘子とは?物部の女ーおそらく巫女らが住んでいた。そしてこの山奥に、彼女達の棺がひっそりと隠されている。
先日地震がありましたが、飛騨山脈帯は日本の中で揺れずにすんでいました。何故か。飛騨山脈帯の地下には、揺れの緩衝帯があるようです。立山は、飛騨山脈帯です。地震との関係も含めた古代史の研究が進めばと思います。