ひまわり
病院へいくために乗る電車、駐車場をでて何となくいつものスーパー横に並ぶ花屋が目についた。毎回通る道。特にかわりはない。心以外は。
しかし、ワタシの頭は「美」よりも「金」だった。あの花屋は個人経営でお値段もそこそこする。昨日も病院で、薬代合わせて約一万支払ったワタシは500円は超えるかな、一本、、とすでにこの時には買う本数は一本と決まっていたようだ、そのまま過ぎ去った。その足でスーパーに入り、駅までの近道を通ると、また、目があった。398と数字の書かれたお安いアピールの「ひまわり」。でもなんか、ちがう。かすみそうや、カーネーションまでついた、かなりお得なひまわりセットとでもいうのだろうか、、、わたしは一瞬花束をみて、過ぎ去った。
いつもどうりの電車。病院へのみち。いつもとかわらない。心以外は。
電車の中でも、どうしてか頭を離れない花。病院に持っていきたい気持ちは開花していた。しかも、一本だけの黄色い「ひまわり」。
病院の最寄駅についた。でも、なんとなく、どうしてか、おりれなかった。わたしは、この駅に用事があるのに。よくわからない心具合だ。電車はドアをしめ、次の駅へ。わたしは、いそいそとおりて、あったはずの記憶をたどり、花屋に向かった。電車代の無駄しかない。あのとき、あのひまわりを買っておけば、隣への電車代往復300円以上は花につぎこめたのだから。
でも、ワタシには何の後悔も不思議となかった。電車に乗っていた時間が、ひまわりを想う気持ちを強くしてくれていたのだから。
そんなに、ひまわり一本を、今日、どうしても病院に持っていきたい。もし飾ってもらって、なんとなく、みんなが癒されてもらえるならば、それは、ワタシの癒しにもなる。
ワタシは迷わず、薄い色ではなく、濃い色のひまわりを一本とり、レジに持っていった。プレゼントですか?ありきたりなことばが聞こえる。プレゼントだけど、プレゼントではない。プレゼントといえば、透明のラッピングになる。なんだか、持って歩くのが、主治医に渡すのが恥ずかしい。
だので、自宅です、と答えた。
手には一本の紙で包まれたひまわり。
一駅もどる。
「時間」と「お金」よりも「美」だ
ワタシは意気揚々と、いつもの足取りより少し軽いテンポで病院に向かった。
今は、待合室。
壁には茶色の大きな額がある。
花瓶に飾られた向日葵の油絵。
ふーむ。
わたしは、なんとなく、心情元を探られたように感じ、手元に隠すように置いてある、ひまわりをみた。
先生はよろこんでくれるだろうか。
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