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まるで話が通じないひと、アフリカ象とオランダ人

まったく話が通じないひとって、たまにいる。そのことに気がついたのは、結構最近だ。やれやれ、いままでどれだけ薄っぺらい人生を生きていたのか。どおりでたいした小説も書けないわけだ。経験はひとを強くして、強くなったひとはまた、その経験を糧に生きていく。たくさん強くなったひとは、そのぶんすごい小説を書くに違いない。

三十五歳を過ぎても、僕は「誰だって話し合えば分かり合える」と甘いことを考えていた。ちゃんちゃらおかしい。甘すぎる。がきんちょだ。そんなことなら世の中で戦争なんて起きていないし、政権争いだって生まれない。僕はつまり、いままでずっと、そういういざこざのない幸せな世界でぬくぬくと育ってきたんだ。もやしみたいなもんだろう。シャキシャキのころはまだいいかもしれないけれど、いまとなってはフライパンの上で焼肉のタレに浸されて、シニャシニャになっている。

言われのない濡れ衣を着せられた。「違います。誤解です」と言っても理解はしてもらえなかった。弁明の余地もなく、一方的に罵られた。たくさんの悪口を言われた。脅しのようなことも言われた。怖くなって、哀しくて、傷ついて、会社を半日休んだ。でもそんなことで会社を休むような情けないやつと思われたくないから、次の日から出勤した。胸の奥がずっと痛くて、悔しくて、なんだかモヤモヤして、気を抜いたらすぐにでも泣き出してしまいそうで、なかなか大変な一日だった。馬鹿だな。すぐに強がって、かっこつけて、いいところを見せようとしてしまう。見栄っ張り。弱いところを見せられない不器用な人間。

でも、きっとあいつらはまったく話が通じないひとたちなんだろうって、そのあと結構あっさりと割り切ることができたから、なんとかなった。二年前も似たような経験をしたから、そのことを知っていた。そういうひとたちは少なからず存在することを知っていた。

そういうひとたちは、まるで人類と幽霊みたいに、アフリカ象とオランダ人みたいに、80年代ロックと茄子の味噌汁みたいに、まったく噛み合わない。聞いたことは違うふうに解釈するし、発する言葉も違う言葉として発言する。だから僕も分からない。傍から見ててもなんの会話なんだか分からない。水と油の関係や、犬猿の仲のほうがまだましな気がする。

「パオーン」とアフリカ象は哀しい瞳で呟いた。その象に向かってオランダ人は「Goedemorgen」と語気を強めて言った。
アフリカ象はただ、茄子の味噌汁が飲みたかっただけだった。でもオランダ人は80年代ロックに夢中で、ギターをステージで燃やすことに憤っていた。通じ合うわけがなかった。それでもアフリカ象とオランダ人は『誰だって話し合えば分かり合える』と信じていた。
いつまでも空は青く澄んで、晴れ渡っていた。ときより心地よい風がふき、緑色の夏草たちを揺らした。アフリカ象はまた「パターン」と呟いた。オランダ人もそれにあわせて「Goedemorgen」と呟いた。

こんな小説のワンシーンが一瞬頭に浮かんで、またすぐに消えた。

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