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あの日、言えなかった「またくるね」

あの日、言えなかった

「またくるね」

学校が建たない悔しさと

それでも温かく迎えてくれた優しさと

僕の背中にはたくさんの夢が乗っていた

Part 5. ネパールとの悔しい別れ

2016.10~2017.1

学校を建てて彼らを幸せにするためには

このLUCKYという場所を残すこと

100年続くサークルとして基盤を固めること

僕の役割が明確になったネパール初渡航を経て

日本に帰った僕は

気が狂うぐらい学生団体に時間を使った

24時間365日

メンバーとの日ごろからのLINEやご飯など

コミュニケーションを欠かさず

街頭募金やMTGは全部出席

僕にできることはすべてやった

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2017.2
学校建設に必要な資金220万円

目標金額まで残り2万円を切っていた

そんな最後の募金の日

京都タワー前

おそらく100時間以上はここにいただろうか?


この場所で幾度となく声を出してきた

先代と今の代の想いを発信し続けた場所だ

厳しい言葉をもらう場所でもあった

暖かい言葉をもらう場所でもあった

この場所で声を出し続けた記憶が

走馬灯のように走った


そして今でも忘れない

目標金額を達成した時の感動を


学生団体を立ち上げてから

間もなく5年が経とうとしていた

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2017.3

4度目のネパール渡航

僕にとっては最後の渡航


子供たちに先生たちに村人たちに

お金が集まったことを報告しよう

それと同時に開校式をしよう

ハッピーエンドを迎える学生生活





なんて夢も泡のように消えた




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そこにあった現実



聞くと間に入っていた

NPOとの連絡が取れないとのこと


お金も送られてきていない

嘘つき日本人なんて

呼ばれても仕方ない



僕の5年間の夢は裏切りという形で幕を閉じた




それでも僕たちのことを信じて

僕たちの渡航を待ってくれている

子供や先生、村人がいた


最初の約束から3年が経とうとしている


たくさん待たせている僕たちにも関わらず

来てくれるだけでうれしいと

変わらないお出迎え


その絆は消えることはない


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最後のお別れの時

「次いつ来るの?」

「次も一緒にダンスしようね」

「次はうちに泊まってよ」




僕は何も答えられなかった





春から社会人

「またくるね」なんて口が裂けても言えない

これ以上、僕は嘘をつけなかった

これ以上、僕は嘘をつきたくなかった






帰り道、悔しさで涙があふれた

僕たちは世界を変えることができない

本当にその通りだと思った



こうして僕の5年間の儚い夢は終わったのである

この悔しさがのちに大きな力と帰ってくることとは知らず

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つづく

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