【理念で売るコーヒー #14】ネパール・ポカラ本店、閉店へ。これまでとこれからについて。
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突然のご報告ですが、2023年8月31日をもちまして、BIKAS COFFEE ネパール・ポカラ本店が閉店したことをお知らせいたします。
こうしてお知らせが遅くなってしまったこと、皆さまの期待に応えることができなかったことを深くお詫び申し上げます。
同時に、これまでの皆様からの多大なるご支援、心より感謝申し上げます。
お店に足を運んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
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断腸の思いとともに、こうした形でポカラの店舗を閉店させることのご報告をするには、過去を振り返ると現地スタッフをはじめとするパートナーの方々やクラウドファンディングとインターンを通じて支援していただいたファンの方々に対して、後悔がたくさん残る結果となってしまいました。
正直、悔しくて悔しくて仕方がありません。あの時こうしていれば、という後悔はどんどん出てきます。ただ、これが僕たちの実力です。現実は受け止めなければなりません。
しかし、そうした悔しさの中にも、問いと行動を重ねてきた1年間の中で閉店を決断するにあたって「BIKAS COFFEEが本当に大切にしたいこと」に磨きがかかり、ネパールで新たに実現していきたいミライも見えました。
今日は、僕らの初の海外店舗展開の中での、思考の軌跡を全て残していきたいと思います。
最後までお付き合いください。
ネパール・ポカラ本店、誕生。目指すはネパールナンバーワンのコーヒー屋さん!
2022年9月20日。
ネパール・ポカラに本店がオープンした日を今でも鮮明に覚えています。
カトマンズでの出店計画から物件が見つからず、急遽ポカラへ出店場所を変更し決死の覚悟で見つけた物件。当時は大いなる期待と希望を持って、「ここからBIKAS COFFEEの伝説が始まっていくんだ」と日本から駆けつけてくれたインターン生のカホコ(サファルタ)・はるや(プラカス)・みこと(ジョティ)とともに胸が高鳴っていたシーンは、今でも心に残っています。
オープン後まもなく、当時のポカラ店マネージャーの麻人(バサンタ)を中心に、日々の商品開発やマーケティング活動をしていく中で、僕たちの中に一つの夢ができました。
「ネパールナンバーワンのコーヒー屋さんを目指す(Himalayan Java Coffeeを超える)」という夢です。
そのためには、ポカラにあるカフェで一番コーヒーのメニュー数を揃えたり、将来のネパールにおけるコーヒートレンドを先取りしていくために、他にはないアイテムとして開発した「シェイクチーノ(ミキサーで氷とコーヒーを砕いたシェイク状の飲み物)」の発売も開始。着実にお店の中身も揃えていきました。
山積みの課題。資金難とマーケティング試作の屍たち。
2,3ヶ月が経った頃でしょうか。観光客が減り、客足が減ったとの現地からの報告。ポカラは観光地で賑わう街。観光客向けにコミュニケーションを取っていた僕たちに取っては大きな痛手でした。
そこから方向転換をして、ローカル向けにフリーチャイなどの施策をしようとも、箱の大きさとサービス内容(フードなし・コーヒー提供のみ)というギャップがローカルの人たちにも受け入れられず、ここにきて立地と箱の問題が大きくのしかかることになります。
当初予定ではなかったフードメニューを拡大して、事業を立て直そうとすることも考えました。しかし「コーヒ屋さん」である僕たちがフードのためにさらなる設備投資を行っても、立地も含めた集客というハードルは変わらずあることから本質的な解決にはならないと手を出せずにいました。
その他にも、バスパークでビラ配りをしたり、観葉植物中心のレイアウトに変更したり、卵焼きサンドを開発してみたりとありとあらゆるアクションを重ねてきましたが、抜本的な問題である立地にはかなわず、どんどん赤字が膨らむばかりでした。
ここまでの甘さを見て分かる通り、後手に回ってしまったのもすべて事前のマーケティング調査不足が原因と言えます。今となっては言い訳に過ぎないのですが、契約する前にもう少し冷静に判断できていたらと、たらればを言い出せばキリがありません。
しかし、何よりの財産は「やったから気づいたこと」です。高い授業料を払うことになりましたが、僕らはやる前には気付けなかった、大切なことに気づくのでした。
マーケット(国)が変わっても、バリューチェーンに沿った選択と浸透をどう図ってゆくのか
「郷に入っては郷に従え」ということわざがあるように、価格やサービスをそのマーケットにローカライズさせていくことは往々にしてあると思います。
その中で、提供する価値までローカライズさせてしまったことは自身を見失うことにもなりました。僕たちは、カフェという機能を売ってしまったのです。それはポカラという街にお店を構えてしまったことが全てです。周りにあふれるカフェを競合とみなしてしまったことは、経済合理性における価格競争に巻き込まれ、本来BIKAS COFFEEが持つバリューを失うことにもなりました。
BIKAS COFFEEは「理念で売るコーヒー」です。一貫した価値基準(バリューチェーン)のもと、モノを届けるのではなく、価値を届けてゆくコーヒー屋さん。
生産地であるハルパン村に近いとはいえ、顔の見えない観光地でカフェを営むことは、僕らの価値観とマッチするのでしょうか。いいえ、もちろんしませんでした。
行き交う人々はカフェを求め、憩いを求め、コーヒーを求め、仕事を求め。植樹の農園ツアーを提案しようにも参加者は現れず。BIKAS COFFEEの価値観を求めて来るヒトは本当に一握りでした。
そんなことやる前に気付けよって感じですが、バリューチェーンに沿った選択の浸透は、意外とそんな簡単じゃないんですね。日々の国内におけるプロダクト開発やイベントにおいても同じことが言えます。
失敗はたくさんするんです。だけど、大事なのは常にそのアクションがバリューチェーンに沿った行動だったのかという振り返りだと思っています。今回のアクションは改めてそうしたことに気づかされる大きな経験となりました。
だったら、自分たちの関係人口が多くて、固定費もあまりかからない別の町に移転すれば良いのではというアイディアも出ました。候補に上がったのは、ダマウリという町です。過去にNPO時代から、たくさんのアクションを重ねて関わるヒトの多い町。僕にとっては、ネパールのホームタウンみたいなところですね。
そこで、パートナーも見つけました。うちの場所を安く使っていいと。少しマーケティング調査をすると小さい町なので、ポカラに比べてカフェも少なく、バリスタスクールとセットで運営すれば、ある程度売り上げが見込めるチャンスはありました。
ですが、僕たちは移転もしないことに決めました。
改めてバリューチェーンに沿った時に、ネパールでカフェ形態を続けることは「経済合理性を前提としない」という価値観からどうしてもずれてしまいます。
いずれはこの町にもカフェは増えるでしょう。バリスタスクールは増えるでしょう。そうした資本主義の戦いから僕たちはまず脱却しなければならない。その価値基準のもと、ネパールのカフェ事業からは完全撤退することを決めました。
ネパールでBIKAS COFFEEができること
こうした決断ができた背景に、もう一つエピソードがあります。それはハルパン村のコーヒーリーダーであるガンガさんの一言でした。
「空の農業(養蜂)をやってみたい」
彼の発想力と行動力、そして想いの強さ。BIKAS COFFEEとしてこんな近くにカタチにしていくべきGLOBALACTIONがあったことに、大きな勘違いを僕はしていたんだとはっと気付かされ、胸が躍る感覚になりました。今でもこれを書きながら心がとても動いているのを感じます(笑)
BIKAS COFFEEを始めたきっかけ、「このCOFFEEを世界に届けたい」という気持ちを僕は思い出しました。
BIKAS COFFEEが、なぜネパール・ハルパンのコーヒーを買うのか。それは、第一に雇用支援が目的ではなく、単に品質が高いからでもなく、アグロフォレストリーを訴求したいからでもない。自給自足の生活の中でコーヒーを無理なく育てる彼らの生活スタイルそのものが、持続的なコーヒーの提供と維持を実現できると世の中に伝えられると思うから。
そこに住む人々が、コーヒーのある生活をする上で大切にしている価値観や想いを伝えていくこと、そして彼らの「生き生きとした暮らし」を応援していくことが、僕らBIKAS COFFEEにできること。
生産者の「生き生きとした暮らし」の中にある資源、モノも営みも想いも、価値に変えてゆき、そこに住むヒトと村の発展を一緒につくっていくことこそ、BIKAS COFFEEが関わる唯一の理由なんだと再確認できました。
もう迷いはないですね。
まだまだ、僕たちのネパールでの挑戦は始まったばかりです。
ポカラ本店の意志も引き継ぎ、これからもネパールと歩んでいきたいと思います。
BIKAS CAN BIKAS
この COFFEE が世界を DEVELOP させる。
2023.9.1
BIKAS COFFEE
ブランドマネージャー
菅勇輝 / ビカス
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