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Dimension -姫(壱)-

 窓から見える青い空。その真下の広い広い庭園の木々や、そこで囀り合う小鳥達を眺めている。風が柔らかい。おいしい果物と、香りのよいお茶を口にして、「こんなに穏やかで癒される時間を過ごすのは何年ぶりだろう?」なんてことをぼんやりと考えている。
 まるで夢のような空間だけど、皮膚感覚を初めとする五感は全てがリアル。ふと目の前に上げた手を見ると、子供の頃から見慣れた自分の手がそこにある。だけど、その腕が纏っている衣は全く見慣れない。東洋の物とも西洋の物ともつかないが、それでいてどちらにも属するような、浅黄色の生地に金の刺繡糸で縁が細やかに装飾されていて、袖口の大きさは漢服のようではあるものの、衣全体に染め抜かれた梅の花は和服の友禅染めによるもののようにも見える。
 私の今までいた常識からかけ離れた、まさに、夢の「ような」、現実の「ような」世界。
 
そう、ここはその中間の世界。

 私が急にこんな非日常の世界に存在させられても、穏やかに満喫し、ぼんやりしていられる理由は一つ。
 
“私がこの世界が何かを知っているから。”
 
 この世界は、私が今までいた世界でハマっていた乙女ゲーム「剣華繚乱」の世界で、衣装、風景、私が今まさにいるこの部屋の装飾の数々全てが画面越しに私が見ていた景色。所謂、「異世界転生」というやつだ。たとえ、見慣れきったゲームの景色だったとしても、急に環境が変わってしまったら、いくら何でも普通ではいられないだろうと思うかもしれないけど、そこについては、恐らく元々の世界でのハードワークの日々のおかげだろう、疲れている脳がまだぼんやりしているうちにある程度受け入れてしまったから、ちゃんと覚醒した時には、もはや根底からツッコミ直す気力が失せてしまっていた。多少困惑したりはするものの、寝ている時に見る夢のように、「ああ、そういう常識なんだなぁ」と結構すんなりと受け入れてしまっている。もちろん、文字通り夢かと思って何度か元の世界に覚醒できるかと試みた。だけど、ここ数日間何をやっても効果はなく、そして、しっかりと、一日が始まり、一日が終わっていく。そのうちに、「まぁ、それならそれでいいかな」と思うようになり、今やこうして流れに身を任せてしまっている。というか、だんだん自分でもこうして自分の言っていることが良く分からなくなってきた。疲れた。やめよう。

 と、急に傍で声がする。

「姫様?大丈夫ですか?姫様?」
「は!あ、うん!大丈夫!」
「本当ですか?お加減がすぐれないのではありませんか?」
「ううん、本当に大丈夫!ちょっと考え事をね、してただけだから。」
 
 ジンは刀傷のついた強面を不安そうに歪めて、尚も私を見つめている。

「ホントに大丈夫!ごめんね、びっくりさせちゃって。」
「いえ、何事も無いのでしたら宜しいのですが、大変深く眉間に皺を寄せていらっしゃいましたもので、御気分でも優れないのかと・・・。一体、何をそんなに深く考えていらっしゃったのですか?」
 
 ジンの純粋な目に見つめられて、さすがに「乙女ゲー」とか「異世界転生」なんて話は良くない気がする。だけど、下手に隠そうものなら、きっとジンはもっと不安がる。私は何か良いネタはないかと窓の外に目をやる。

 「あ!あの鳥!ほら、あの池の傍に生えている木に止まっているあの青色の鳥!あれの名前が何だったのか、どうしても思い出せなくて。」

 私はヘラヘラ笑いながら、なんとか取り繕った。ジンは既に窓の外を見やり、真剣な眼差しで、その鳥を見ている。と、

 「わかりました!今調べて参ります!」
 「いや、別にそこまではしなくてい・・・あ!ねぇ!ちょっと!!」

 私の方を真っすぐな眼差しで見ると、私の言葉も聞かずに、物凄い勢いで部屋を飛び出した。危うく扉の所で、ちょうど入ってきた侍女とぶつかりそうになり、慌てて平謝りすると、ジンは再び勢いよく部屋を後にした。
 ジンは、私がここに来てからずっと傍についてくれている護衛係。顔に刻まれたいくつかの刀傷やその引き締まった体躯からは幾多の修羅場を潜り抜けてきたのだろうということは推測できる。だけど、その性格、人間性は、それに全くそぐうものではなかった。軍人らしい高いプライドや自信といった圧の強いオーラは全くなく、他の従者や侍女、召使い等、どんな身分の人間にも敬意をもって対応し、常に素直で見栄を張ることもなく、少年のような純粋さを持っていて、誰からも好かれていた。皆、彼に気さくに声をかけ、微笑ましく彼を見守っており、まるでジンは「みんなの弟」といった様子だった。
 たった今ぶつかりかけた侍女もジンが駆け去ったあと、クスクスと優しく微笑むと、部屋に入ってきた。

「姫様、ジン様に何か仰られたんですか?」
「ん?いや、ちょっとあの鳥の名前は何かなぁ?って」

 言いながら私が窓の外を指さすとちょうど真下に、駆け出してきたジンが庭師のゴーシルさんの方へ向かっていくのが見えた。

 「ゴーシルさぁん!あの鳥の名前は何ですかぁ!!」
 「ん?」

 ゴーシルさんはジンの指さす方を振り返ったが、そこには一羽の鳥もいなかった。ジンがあまりに大きな声でゴーシルさんを呼ぶから、その声にビックリして既に鳥たちは飛び去ってしまっていたのだった。

 「ん~・・・どれ?」
 「あ、いや、今そこに・・・えっと・・・」

 困惑するゴーシルさんとジンの姿に私と侍女は声を上げて笑っていた。
 なんて素敵な世界なんだろう。皆が笑顔で過ごしている世界。
その中心には常にジンがいた。
 ジンは本当に忠実に私の傍にいてくれた。常に私を気遣ってくれていた。二人で色んな話をした。私の話を、ジンはいつも、どんな話でも真っすぐ聞いてくれていた。ジンもたくさんの話をしてくれた。生まれ育った村の話、家族の話、幼い頃親に叱られた失敗談、一緒に仕官した親友の話、面白い職場の先輩の話。ジンが居てくれたおかげで、よくわからない世界に転生させられてしまったよくわからない状況にいるにもかかわらず、居心地よく過ごすことができた。
 ただ、私はここに来るまでジンの存在を全く知らなかった。この世界は、私が元々いた世界で私がドハマりしていたゲームの世界。ほとんどの景色も、土地の名前も、この城の主と、私がさらわれてきて無理やり婚約をさせられるという“設定”の子息の名前もすべてプレイヤーだった頃に見聞きしたものそのものだった。だけど、その主要な者達の中に、ジンの姿は無かった。勿論存在する者全てとは言わないが、それでも“主人公”である私の身近にここまでいるジンですら、ゲーム内では無名のキャラクターなのか。この世界は、ゲーム本編の枠をはるかに超えて、しっかり分厚くリアルな世界が形成されているのということなのだろうか。だとしたら尚更、ここまで楽しく、穏やかに過ごせているこの世界に留まり、わざわざこれまでのしんどい世界に戻らなくても良いような気がしてくる。
 だけど、この世界がゲームと同じ時の流れを進んでいくとしたら、いずれこの穏やかな日々は無くなってしまう・・。

 大きな半鐘の音が、場内の至る所から上がる。

 「敵襲!敵襲ぅー!!」

 見張り係が見張り台から半鐘を大きく鳴らしながら、叫んでいる。伝令係は場内を駆け巡りながら、大声で敵襲を知らせ回っている。
 侍女や使用人たちは、慌てふためきながらも、それぞれの部署の緊急時対応に奔走している。
 
 「東のヒヤルド渓谷の辺りにて三名の侵入者確認!既に外郭警護は突破、現在、第一迎撃団と交戦中、しかし戦況不利!本陣侵攻に備えよ!繰り返す!・・・———」

 私の部屋に戻っていたジンは真剣に伝令を聞いている。しかし、その姿は普段私の話を聞く時の“素直さを纏った真剣さ”とは異なっていた。当然ながら目つきは普段のそれとは異なっていたけど、それよりも全身から放たれるオーラ自体が普段のものとは全く異なるものだった。ジンから放たれるその雰囲気に、周囲にはさらに別の緊張感が加わるほどだった。戦争というのはこんなにも恐ろしく不安になるものなのか。

 「ジン?・・・・ジン!?」

 意を決して声を掛ける。いつもなら一も二もなく素早く反応し、笑顔を見せてくれるけど、今のジンは虚空を睨みつけてこちらを全く振り返らない。だけど、何度か声を掛けていると、ようやくこちらを振り返った。

 「あ!姫様、申し訳ございません。なにやら外部の者がこの城に侵攻しようとしているようです。くれぐれもお部屋から出られませぬ様!」

 私に気付くと、すぐにジンはいつもの表情になった。だけど、どこかぎこちなさがちらついている。
 ジンは帯などの装具を締め直すと、戦支度へ向かおうとする。

 「ジン!」
 「はい、どうされました?」
 「あの・・気を付けてね!絶対に死なないで!」
 「・・・はい!有難う御座います!」

 ジンは少し驚いた様子だったけど、今度はいつも通りの笑顔で答え、そして戦場へと向かって行った。
 この先の運命を知っている自分がこんな事を言えた義理ではないことはわかってる。卑怯な事だって思う。だけど、たとえ無名なキャラクターであったとしても、ジンにはせめて生きていて欲しかった。

 この先の運命・・・。

 私はジンを見送り、そのあとに来た許嫁を見送ると、すぐに部屋を出た。皆の制止も聞かず、見張り台の方へ向かうと、困惑する見張り係を気にも留めず、望遠鏡を借りて城外を見た。城から1キロ程離れた所に人だかりが出来ている。3人の男を中心に、兵士達が戦っている。やっぱりそうだ。ゲームの主要キャラの3人が私を奪還しに来たんだ。茶短髪で無邪気で好戦的、スピードに長けた「ショウ」。黒短髪で引き締まった肉体、パワーに長けた「リュウ」。そして、風になびく綺麗な銀色の長髪に、切れ長の眼、むやみに笑顔は見せないけど、心を許した人間にだけ可愛い笑顔を見せてくださる、戦闘中にも落ち着いて、洒落た言葉を発されるところもまた素敵で、常に冷静沈着な私の推し、「セイ様」!
 その3人がストーリー通りに私を奪い返そうと戦っている。そして、このゲームの売りの一つである、鮮やかで華麗な戦闘シーン。それに則って、3人は着々と敵を倒して、侵攻している。迎撃団を斬り抜けると3人は騎馬隊から奪った馬に乗り、さらにこちらへと向かってくる。展開としては、まさにゲームの本編通り。だけど、私の胸の中は罪悪感のような緊張感と妙な不安感が広がっていた。
と、視線の下、城から大門へ続く本通りを、許嫁を先頭にした一団が場外へ向けて馬を駆り抜けていくのが見えた。私はすぐに、見張り台から大門のある城壁へ向かう道を駆け出した。私が城壁上に到着する頃、ちょうど下でも、敵同士が相見えていた。

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