今、育児本として『宇宙兄弟』を読み返す
※若干の作品のネタバレを含みます
自慢ではないだが、私は年間1000冊は漫画を読んでいる。
それだけ読んでいると「どれがおすすめ?」と訊かれることも多いのだが、今のところベスト3は「キングダム・宇宙兄弟・ピアノの森」と答えている。
ベタである。
しかし、面白くて売れているからベタなのである。
特に宇宙兄弟は最終章に入ったのもあり、今私の中でエモさ抜群。
何度も何度も読み返したが、何度読んでも新鮮な面白みがあり、全く飽きない。
毎回きっちり号泣もしている。
(うっかり電車の中で読んでしまうと大変だ)
宇宙兄弟の何が好きか?を語りだすと、またゆうに1万字を超えるオタクの大作が爆誕してしまうので、あえて今日はテーマを絞りたい。
ズバリ、主人公であるムッタ、そしてヒビトの父と母についてである。
真似る父と、踊る母
サブキャラが強いのが宇宙兄弟の一つの素晴らしさであるのは言うまでもない。
主人公だけでなく、出てくる登場人物が全て人間らしさに溢れ「キャラ立ち」しており読み手の心をぐっと掴みにくる。
どちらかと言うとその熱さや深さやプロフェッショナルさで"グッと来させる"ストーリーを持つキャラが多い中で、この父と母は異色の存在である。
父は年中どこで仕入れたんだという謎のプリントTシャツを身に纏い、渋くいい事を言いそうな雰囲気で、決して大したことは言わない(たまに言う)。
モノマネが得意でいつも新ネタを披露するが、それに大笑いするのは妻であるムッタの母だけ。
母は母で突如自作の「夢のワッショイ」という歌を歌い踊り出したり、賞味期限ギリギリのキムチをNASAに向かう息子に持たせたりするファンキーさ。
病気やPTSDなど重たい描写も多い『宇宙兄弟』のストーリーの中で、この父母の絶妙な緩さと適当さは作品全体のバランスを絶妙に保ち、『宇宙』というテーマの壮大さを引き立たせる対比として非常によくワークしている。
すごいぜ、父と母
ズバリそんな父と母の私が好きなところをまず発表する。
いつも明るくてハッピー
子の実績を親の成果にしない
子に嫌なプレッシャーを与えない(逆に子の緊張感をほぐしている)
子に指示しない。好きにさせている
だが決して放置はしておらず、子をよく見ている
夫婦仲が良く、母は常に父を褒める
自分たちの人生を好きに生きている
『宇宙兄弟』の読者の皆さん「わかるぅ」と言う声が漏れてますよね。そうですよね。
羅列すると大したことがないようだが、いやいやこの父と母、かなりの大物である。
子の実績を親の成果にしない
世の中には子の実績を自慢する親がたくさんいる。
「子が社長になった」「東大に入った」「スポーツ選手になった」
紛れもなく子の努力の結果であり成果なのだが「私が育てました!」と大きな顔をして本を出したり講演をしたり、そんな事例は山とある。
実際、親の教育の影響もあるだろう。
私も親になった今、誇らしげに語りたい気持ちはよくわかる。
奇しくも我が家もムッタとヒビトと同じ、男子2人兄弟。
仮に2人して宇宙飛行士になったとしたら?
…
…
…死ぬほど自慢するな。
SNSに書きまくり、ここぞとばかりに本を出し「これぞリアル"宇宙兄弟"を産んだ教育!」なんて帯のコピーまで自分で提案すると思う。
だが、ムッタとヒビトの父と母は違う。
「息子が二人とも…地球を出ていったな」
「壮大な家出ねぇ」
と宇宙へ旅立った息子たちをしみじみと見守り、ただただ変わらない日常を送り続ける。
テレビ取材を受けた際など
「お二人が南波兄弟をお育てになられたご両親ですね?」というレポーターの質問に
「特別なことはやっとりません」
「"ムーンウォーク"なら教えてました」
と答える天然っぷり。
こんな親がいるだろうか。「とんでもなく普通」なことは、実は「とんでもなくすごい」と言うのがまさにこの2人にぴったりの言葉である。
子にプレッシャーを与えない
ムッタは物語の冒頭、会社をクビになり職を転々とするダメ人間的な描かれ方をするが、冷静に考えると宇宙飛行士になれるような地頭の持ち主で(英語もペラペラだし)、そもそも有名メーカーで良きポジションについていたようなエリートなのである。
こんなに出来のいい息子2人を持った親として、子に期待するなと言う方が無理がある。
小学生、遅くとも中学生の時には頭角を表していただろう。「子が優秀だ!」そう気づいてしまった時「その才能を伸ばしたい!」とアレコレしたくなってしまうのが親心。
特別なコースに通わせたり、その道の勉強を支援したりとお膳立てをして、色んな環境やツールを用意したり…
お金も時間も手間もかけ、子のために!とやってしまいたくなるものだろう。
が、ムッタとヒビトの父母にはその片鱗が見えない。
ムッタとヒビトは説明員のナレーションを覚えてしまうほどJAXAにも通い続けるが、そこに父と母の姿はない。
「あらぁ。あの子たち、まーたJAXAだかサルサだか行ったの?好きねぇ」
なんて母の呑気な声が聞こえてきそうである。
ただの予想だがSAPIXなどにも入れてないだろう。
子の好きな事を禁止せずに、好きなだけさせ、一方で過剰に期待したり支援したりもしない。
いやーこれはなかなかできないって。
先述の「わっしょいソング」などムッタが宇宙飛行士になれるかどうかがわかる運命の日に、母が皿洗いをしながら披露しているものだ。
普通のメンタリティであれば、固唾を飲んで結果発表を見守るだろう。家事なんて手につかないし、ましてやワッショイなんて歌って踊っている場合ではない。
だが、このお気楽さにきっとムッタとヒビトはいつも救われてきたのではないだろうか。
仮にこの時、ムッタが宇宙飛行士になれなかったとして。
隣に目をギラギラさせながら、結果を待っている母がいたとしたら「ああ、自分がダメだったせいで落胆させてしまう」そんな事を考え、より気持ちが落ち込みそうだ。
人の過剰な期待は、時に人生の枷になる。
だがワッショイを踊っている母になら「今回はダメだったわ!」と素直に言えるのではないだろうか。
母もきっと「まぁ今日はワッショイ歌いましょ」とムッタを謎のアプローチで励まし、そのあまりのくだらなさに、ムッタも呆れて気持ちよく現実を受け入れたのではないだろうか。
子をよく見ている
そんな父と母だが、決して放任で育児放棄しているわけでもない。
ここに彼らのすごさが凝縮されている。
ムッタはストレスを溜めると聖徳太子宜しく、テレビ、新聞、ラジオ…と色んなメディアからの情報を大量摂取し始める。
そんな様をムッタの母は「コロコロムッタ」と名づける。あのカーペットの掃除に使う「コロコロ」のようにゴミ情報を集めまくるという意味からである。
中々のネーミングセンスの持ち主だ。
「なーんか嫌なことがあった後とかにコロコロすんのよねーあの子」と言うセリフからわかるように、母はムッタをよく観察している。
だからといって止めるわけでも、なんでそんなことするの?と問い詰めるわけでもない。
気づいて、見守って、放置。
父も「子どもたち2人だけで東京から京都まで自転車で行きたい」と言い出したムッタたちを止めずに行かせ、ただし変装して別人として見守り続ける。
特に叱咤も激励もしない。
ただただ見守り、困った時に少し手を差し伸べるだけ。
ふたりを見守る中で、父は兄弟がどのように支え合い、兄と弟がどのような信頼関係で繋がっているのかを発見する。
父はきっとその一瞬で、この2人なら大丈夫だと確信を持ったのだろう。
そしてこの父は、そこに気付ける父なのである。
こんな親になりたい
…とまぁ、父と母のすごいエピソードをあげるとキリがない。
私にとって彼らは「子育てのお手本」そのもので、シンプルにずっと憧れている存在である。
母が父のくだらないジョークに一番笑い、褒めるという夫婦仲の良さも理想である。
(趣味がこうじたセカンドライフも、もちろん理想!)
この母ならムッタかヒビトが結婚しても嫁姑問題なんて起きはしないだろうし、孫ができたら父はキレのよい「ニャンボ」で赤子を笑わせてくれるだろう。
いやー本当にすごい。
心からこんな親になりたい。
『宇宙兄弟』の父と母は私の理想の保護者像そのものだが、今のところまだ自分自身とその乖離は大きい。
ちょっとでも子どもの良いところや、得意な事を見つけるとスクールを探してしまったり、学習教材を買い与えたり、何だかんだ支援という名のおせっかいをしてしまう。
知育だから!STEAM教育だから!と自分に言い訳をして、すぐに目新しいおもちゃなどを買い与えてしまい、私は最近この「与えすぎ」を自己認知し、危惧し、自分自身に警鐘を促している。
好奇心は人から言われて湧き出るものじゃない。
人から与えられすぎた環境は、貴重な好奇心の種を潰してしまうことがある。
ピカピカの宇宙服のレプリカを買ってもらうことではなく、ムッタとヒビトのようにヨレヨレの自作の宇宙服を自分たちで作ることに、本当は意義があるのだ。
「自律と自立」
以前のポストでも書いたが、自律と自立が私の変わらぬ子育てのテーマである。
自分で考え、決められる人になる。自分で決めたことの責任を取れる人である。
誰かにやらされてやることなんて、楽しくない。
失敗しても間違ってもいい。
結果的に宇宙飛行士になれたから、ムッタとヒビトが素晴らしいんじゃない。
有名になるとか、お金持ちになるとか、良い仕事に就くとか、そんなことではなくて。
自分で選択肢をつくることができ、そこで納得できる決断をできる人生を作れたのなら、それはもう、人生の成功者なのである。
南波家の父と母は、私にそんなことを教えてくれた。
ニャンボ&ワッショイ魂で、私も母をアップデートしていく。