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家は綺麗にするな!
「シンプルに暮らす」がトレンドである。
断捨離、ミニマリスト…令和の現在、幸せの価値観が、モノからコトへと変わったことは明らかな事実である。
それ自体はとても良いことだなと思う。
必要あるものだけを生産して、使っていくというのはSDGs的な観点からも推奨されるべきだし、合理性を高めていくのは様々なところで良い効果がでることは、自分自身も体感済みである。
だがしかし、ブームとなった「モノトーンインテリア」など、極端に単純化されたデザインには何故だかずっと違和感を感じていた。
(イメージつかない方はインスタで #モノトーンインテリア で調べてみてください)
なんだろう、すごくオシャレだし、生活もしやすそうだし…でも何だか住んでみたいと思わないこの感じ。モヤモヤ。
大したイシューでもなかったので、その疑問を特に深ぼることもなかったのだが、Googleの働き方とマネジメントについて書かれたこちらの書籍「How Google Works」を読んだ際に、突然このモヤつきの正体に気付いてしまった。
今日はその発見について書いてみる。
散らかっているのはいいことだ!
Googleの会社としてのサクセスストーリーに疑いを持つものはいない。
「世界一の企業は?」という主観的な質問を投げたとして、この会社の名前をあげる人も多いのではないかと思う。
この本はそんなGoogleのカルチャーや働き方のストーリーを紹介したものなのだが、オフィスについて書かれた段落にこんなものがあった。
「あなたの親は間違っていた――散らかっているのはいいことだ!」
小見出しからして、挑戦的である。
「どういうこと?」と思わずページをめくる手が速くなるが、抜粋するとこんなことが書いてあった。
・オフィスが散らかっていても問題ない
・グーグル・アートウォール・コンテストを実施して、全世界のオフィスにGoogleのロゴを書くイベントを実施したこともある
・取り散らかったモノたちは、猛烈に働く、意欲あふれる従業員の象徴である
・散らかっているのは自己表現やイノベーションの副産物であることが多い
この文章を読んですぐに思い出したのは、ご存知「ONE PIECE」の作者の尾田栄一郎先生の仕事場である。
どんなゴージャスな仕事場なのだろう…と思いきや、そこには大量のおもちゃやフィギュア…正直いうとガラクタに見えなくもない小物が所狭しと並べられており、さながらヴィレッジバンガード風の空間である。
他にもお菓子コーナーやプロジェクションマッピングに滝⁉︎まで…遊び心満載、というか遊び心しかそこにはない。
Googleと尾田先生の仕事場に共通するもの、それはなんだろう?
そう、「クリエイティビティ」である。
ユニークな物にはストーリーがある
整然と整理された瀟洒なインテリアに、私がトキメキを感じなかったのはそこにある。
確かにキレイでカッコいいが、そこにはクリエイティビティがないのである。
シンプルインテリアでは、それを邪魔するような商業的なデザインは徹底的に排除される。
今や100均にすら「牛乳パックカバー」や「ラップカバー」などが販売されており、これまたどれも大ヒットとなっている。
皆モデルハウスのような(場合によってはそれよりも)「生活感のない家」に憧れている。
私にも片付けが上手で、全ての生活感を排除し暮らしている友人がいる。
一方で、世界各地の変わったものを集め、これ何の意味があるの?という小物を所狭しと並べた家に住む友人もいる。
これは私の個人的な意見なので、良い/悪いの正解はないのだが、少なくとも私は後者の家にお邪魔する方が、ワクワクするし、テンションがあがるのだ。
ユニークなものにはストーリーがある。
「これはルーブル美術館の展覧会で買ったシルクスクリーンだよ」
「子どもが誕生日にくれた花の押し花だよ」
「海外で露天商から買ったガラクタだけど、個性的でお気に入り!」
なんて風に。
わたしたちはストーリーを通じて、彼らの大事にしている価値観や、人間性を知る。
つまり、これらはコミュニケーションのツールなのだ。
不確実性の高い世の中を生きる子どもたち
クリエイティビティ、つまり創造力というのは今の時代に生きる私たち、そして子どもたちの世代にとってとても大事な力であると私は確信している。
画一労働、上司の指示に従っていれば年功序列で給与が上がっていく時代は終わったのである。
これから私たちには、自分の力で仕事も人生もクリエイティブしていく能力が求められる。
STEM教育に「Art」が加えられた「STEAM教育」が流行っているのもそこに繋がるのかもしれない。
最初は、なぜここにアートが入るのだろう?と疑問だったのだが、STEAMについて学びを深めるごとに、このアートの定義の広さを知り、なるほどと納得した。
ここでいうアートはいわゆる「美術」はもちろん「舞台芸術」「視覚的芸術(グラフィックデザインや、写真など)」、また「リベラルアーツ(哲学、一般的な教養など)」の意味合いも含むそうだ。
それらを通じて「発想力」「創造力」「自己表現力」などを身につける。
よりビジネス的な観点で言うと「デザイン思考」などの考え方にも繋がるのかもしれない。
アートを学ぶことで、私たちはテクノロジーを使いこなすための能力を培うのである。
美術館に行かないとアートを体現できない?
そうではないと、私は思う。日常にクリエイティビティを刺激するモノは元来たくさんあるはずなのだ。
日常を彩ろう!
タイトルの「家は綺麗にするな!」はさすがに言い過ぎかもしれないが、私は日常に創造性を高めるヒントになる発見を散りばめるべきだと思っている。
無論「汚部屋」を推奨するわけではない。雑多なことと、ただ単に汚いことは全く違う。
ゴミ屋敷に住みたがる人はいないが、アメ横や、恵比寿横丁や、台湾の夜市や、フランスの蚤の市に人々はワクワクするだろう。そんな感覚である。
家自体は片付いていた方が生活もしやすいし、何より合理的だ。私もそれには賛成で、整理整頓された家にちょっとした「遊び」が加えられるのが最強なのではと思っている。
我が家では息子の描いた絵(というか螺旋の殴り書き)などを壁に飾っている。
どんどん生活感に溢れていく「が、その雑多さを今は楽しんでいる。
アートは昔から好きなので、将来的には何かお気に入りのものを飾りたい(今はレンタルもあるし、いい世の中だ)
そして壁一面の大きな書斎を作ることが私の夢である。
中学生のとき、図書館に行くのが日課だった私は、そこでクリエイティブのシャワーを浴び続けた。
まっさらな本のパリパリと紙面がはがれていく音も、古びた本の角が削れた感じも、図書館の匂いも好きだった。
画集や写真集を毎日読み漁り、その世界に没頭する時間は至福だった。
あの感覚を取り戻したい。部屋に入るだけでワクワクが止まらないような書斎をつくりたい。
それが今の私の夢である。
「家は綺麗にするな」
もとい
「家は綺麗にしすぎるな」
後者の方が正しいニュアンスである。
私はすっきりと生きていきたいのではない。ワクワクして生きていきたいのだ。
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