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バズり中の「起業家慶應生」と「コンプレックスを抱える少女」の記事を読んで傷ついたアラフォーの話

今、話題になっている2つの記事がある。
慶應大学に在籍しながら、「TimeLeap」の代表取締役を務める仁禮彩香さんへの取材記事と

「この割れ切った世界の片隅で」というタイトルとさびれた団地のサムネイルが強い印象を放つ、鈴さんという高校生が書いたnoteでのエントリである。

私はこの2つの記事をほぼ同時期に読んで、いろんな気持ちにおそわれていた。感動、憧れ、共感、尊敬、悲しみ…一括りにできないこの気持ちはなんなんだろう。
そうモヤモヤしていたところに、同じくこの記事を読んだ友人がこのツイートが盛り上がっていることを教えてくれた。

ああ、そうだ。わかる。私も同じだったんだ。感じていたモヤモヤは、一言でいうと「最悪」だったんだ。
今日はこれらの記事について、そして「最悪」な気持ちを今も引きずっている自分の正直な気持ちについて書いてみる。

起業家慶應生の記事について

さて、まずはこちらの記事についてである。まずは一度記事を読んでいただきたいのだが、ダイジェストで説明すると、この取材対象者の仁禮さんの経歴はこんな感じである。

・湘南インターナショナルスクールの幼稚園に通う
・公立の小学校に進学するも、日本の教育システムに違和感を持ち「小学校を作ってほしい」と通っていた幼稚園の先生に直談判
・2年生にしてその小学校に転入
・中学で受験をして再度日本の学校に入り直す
・中学2年生の時、起業を決意
・高校1年の時には、母校である「湘南インターナショナルスクール」を買収
・慶應大学に進学
・2016年に2社目となるHand-C(現TimeLeap)を設立

いやいやいや、すごすぎないですか?ちょっと凡人の理解を超えていて、共感できるポイントがかけらもない。

小学生(それも1年生)で日本の教育システムに違和感を持つ?
中2で起業?
高1で母校を買収?

「学校って買収できるんだ…」アホな36歳の私は、記事の内容がすごすぎて、そんなつまらない感想しか抱けずにいた。

アウトプットはしなかったが、その時の私の気持ちをより整理すると、抱いていたのはこんな感情である。

「かっこいいな。こんな人が増えたら世の中よくなるんだろうな」という憧れ。
「どうやったらこんな子どもに育つんだろう」という親目線で感じた教育方針を知りたいという欲求。

おそらく多くの人が私と同じような感想を持ったのではないかと思う。
だが、実は感情に蓋をして気づかないようにしていた、自分の中のネガティブな気持ちがもう一つあることに、私はのちに気づくことになる。

それは「はいはい、また裕福な家庭の子のサクセスストーリーね」というやっかみである。
私がこの気持ちに気づいたのは、もう一つの記事である鈴さんのエントリを読んでからだ。

「私に世界を変えさせてください」と叫ぶ少女

この鈴さんの記事は1万字を超える大作である。だけれども私は息をする間も忘れて文章に没頭して一気に読み切った。
いや、正確にいうと息をすることも憚られるくらい、胸が苦しくてたまらなかった。
泣くのをやっと堪えているような状態で、最後まで何とか読み切ったのを覚えている。
(そうして今読み返して、今後は我慢ができずに涙が溢れた。これは本当に全ての人に読んでもらいたい珠玉のnoteである)

作者の鈴さんも、超凡庸な人生を歩んでいた私からすると別次元にすごい。

・公立小学校から、受験をして公立中高一貫校に入学
・中2で国連欧州本部派遣プログラムに応募
・中3で国境なき子どもたちという団体が主催する途上国に無料で行けるプログラム「友情のレポーター」に応募、合格してフィリピンへ
・高1動画スピーチコンテストで決勝に勝ち進み東京へ

この経歴からも、とても賢い子であることがうかがえる。
だが、彼女のエントリはその経歴を自慢するものではなく、むしろ自身が抱いてきた「別世界コンプレックス」について、そして「だからこそ世界を変えたい」という強い思いを抱いていることを表す、痛切な叫びだった。

地元でちやほやされていた彼女が直面する、生まれながらにして「別世界」の子たち。

確か、東京で同じ年の子と交流したのが大きかったと思う。「インターナショナルスクールに通って〜」「今からバイトなんすよ」「何をやってる人なんですか?」「趣味は旅行ですね」言葉の一つ一つに、心臓をぐさぐさ刺されて、息が出来なくなった。
入学時点で英検3級を持っていたことで周りからもてはやされていた私は自信満々だった。しかし会場に入ると、その自信は消え失せた。休み時間だというのに、皆なぜか英語で喋っている。何を話しているか全く分からない。端っこのほうで縮こまっていると、女の子が声をかけてきた。「どこに住んでいたことがあるの?」「長崎です」「いや、海外には?」「...無いです」「あ、そうなんだ~、わたしはアメリカに15年住んでいたよ!」髪をかきあげ、彼女はまた輪の中に戻っていった。

そうして彼女はこうも語る。

神様が、子どもたちの生まれる場所を決めるくじがあったとする。えいやっ!その手がもし右に2ミリずれていたら、私は君みたいに生きているだけで邪魔者扱いされるストリートチルドレンだったかもしれない。反対に、左に1ミリズレていたら、テレビに出てくる我儘なビバリーヒルズの金持ち娘だったかもしれない。私はなぜ、ここでこうして生きられているのだろう。そう思ったとき、この社会の不条理に挑もうと思った。挑まなければならないと思った。恵まれない人たちのために、人生を捧げようと思った。

フィリピンで劣悪な環境で暮らす子どもたちを目の当たりにし、その後国際協力シンポジウムに通うなど積極的に行動し続けた彼女は、泣きながらこう祈る。

「お願いです、私に世界を変えさせてください。」

詳しいことはわからないが、記事から察すると彼女の家も、極端に貧しいわけではないのだろう。
だが、長崎の地方都市という片田舎で生まれ育ち、記事中で比較されている「生まれながらにしていろんなものを持っている」タイプの子ではないは確かだ。

私を含め、多くの人がそんな状況で生きているからこそ、この記事にものすごい共感が集まっているのだろう。

私もずっと「別世界コンプレックス」の住民だった

私も、福岡の片田舎で生まれ育った。福岡なら割と都会じゃん!そう思う人もいるかもしれないが、私が長く育ったエリアは中心部からは車で3時間。普段使う最寄りの駅までは車で1時間(別にローカルな鉄道もあるのだがそこは1時間に1本くらいしか電車が来ない!)田んぼに囲まれた「THE日本の片田舎」という場所だった。

小学校低学年までは福岡市内の賃貸住宅で暮らしていたのだが、親が突然「家を買う」と言ってこの人口1万人ほどしかいない小さな町に引っ越したのだ。

持ち家を買えたくらいなのだから、特別生活に窮して生きてきたわけではない。
だが、そんな立地で売られる新築の家は東京の中古マンションの平均価格よりも断然安く、決して裕福な暮らしをしていたわけではない。

むしろ今の私の友人やコミュニティと比較すると「かなり慎ましく」暮らしていた方だと思う。

色々あって父も母も祖父母と絶縁状態であったため、祖父母からのプレゼントなどはもらった記憶がほぼないし、親もおもちゃなどを無限に買い与えるタイプではなかった。
周りの子が持っている「プリンセスの変身セット」が欲しいなあと思っていたが、きっと買ってもらえないだろうなと自己処理して、「おねだり」という行為までは決して起こさない、私はそんな子どもだった。

親戚付き合いもほぼゼロなので、毎年のお年玉も親からだけ。小学校高学年や中学生になってくると「何万円もらった!何十万円もらった!」という子どもたちの中でのプチ経済格差が浮き彫りになるが、私は毎年せいぜい数千円止まりだったことを覚えている。(ちなみに今は逆に誰にもお年玉をあげることがないのでラッキーくらいに思っている)
だがそれを特段悔しいとか、惨めに思ったことはない。
ご飯が食べられない、給食費が払えない…とまで追い詰められたことはないし(子どもである私の記憶だが)そこそこ自分は恵まれているなと思って、のほほんと生きていた。

学校ももちろん、小学校から高校までずっと公立。
塾にだって一度も通ったことがない。
前回のポストで書いたが、教育熱心な父親はなぜか「塾にも通わせてないのに子どもが好成績」というのが自分の自慢らしく、それを聞くたびに私もその期待を裏切ってはいけないと感じていた。

大学進学は最初から考えていなかった。
一番の問題は「お金」だった。親は無条件で資金を出してはくれない。
行くとしたら自分でやりくりをしていくしかない。
それは想像するだけでも大変そうで、若かった私は結局思考を放棄して「大学へはいかない」という選択で早々に悩む苦しみと親へのプレッシャーからの解放を望んだ。
結果親が出してくれたとしたって、「親のお金で生活させてもらっている」という状態がこれ以上続くのは耐えられなかった。
私は完全に飼われている「カゴの中の鳥」であって、そんな人生にもうその時点ですっかり絶望していたからだ。

高校を卒業してからも、自動車学校へ通う資金、一人暮らしを始める資金、そこからの生活費、全て私は自分の貯めたお金で支払った。
成人式の振袖は妹がいたのもあり、親と私と妹で3分割して支払った。
当時の私は中華料理屋のウェイトレスをするフリーターだった。月の給料は10万ちょっと。
実家暮らしだったとはいえ、自動車学校に通うお金を貯めるのですら1年かかった。

周りを見ると、同じ年代の子がキャッキャと楽しそうに大学に通っていた。もちろん家庭により色んな状況があるだろうし、私はいい側面しか見えてなかったとは思う。
だが、多くの子が何の経済的な悩みもなく親がお金をポンと出してくれて、大学に通い、対して勉強もせずにサークルだコンパだと遊び歩いているように見えた。

私の方が成績もよかったのに。指定校推薦でいけるぞって言われてたのに。
自分の中で今まで抱いたことのなかった、もやつきをこの時から感じるようになっていた。

自動車学校も私が通う頃には、すっかり同級生は卒業してしまっていて、1個下の学年の子たちばかりがいる状態だった。
同級生が「親に買ってもらった」らしい可愛い新車が心から羨ましかった。

さらにお金を貯めて、やっと1人暮らしを始めたのは家賃3万円の木造アパート、それも1階。不動産屋さんに「女の子だし1階はやめた方がいいよ」と言われたがそれ以上出せる資金もなかったし、私にとっては親の抑圧から解放される、そこはまさに夢の国。木造でおんぼろでもディズニーランドなのだ。
2階の人の水回りが全部聞こえるような家だったが、何の苦も感じたことはなかった。

そこから私は、過去のポストでもちょくちょく書いたが「鬼のように」働き、紆余曲折あった結果、自力で大企業の社員のポストを勝ち取った。
血反吐を吐きながらも頑張れたのは「絶対に恵まれてるやつらに負けたくない!」そんな強い反骨心があったからだ。

リクルートで7年ほど働いたのだが、後半4年ほどいた部署は、組織の中でも大手クライアントのみを担当するいわば精鋭揃いのチームで、リクルートにしては珍しく40代50代のメンバーも多い、プロフェッショナル集団だった。

私と同年代のメンバーも何人かいたが、その経歴は凄まじく、東大、京大、早慶をはじめとする、大学について無知な私でも全て名前を聞いたことがある有名大学ばかりだった。
もちろん高卒(それも地方の公立)なんて私だけ。
MARCHやその他の私立大学であれば「むしろ相対的負け組」みたいな空気すらあって、私には想像もつかなさすぎて全くピンと来なかった。

学歴や職歴がないことで、たくさんの企業に「書類だけ」で落とされてきた経験を持つ私としては、ここまでこれたのは正直「感無量」であった。
この時には自分の「別世界コンプレックス」や「学歴コンプレックス」はむしろポジティブに捉えられるようになっていて、「学歴もないのにこんなに頭がいい人たちと一緒に働けている自分すごいんじゃない!?」と自分を肯定できるようになっていた。

親との確執…そしてまたコンプレックス

そこから10年ほど経って、今私は36歳。結婚して、2児の母になった。
仕事も楽しく、素敵な夫とも結婚し、可愛い子どもも授かり、私の人生は順風満帆だった。

別に突然美人になったわけでも、賢くなったわけでもないが、そんなに以前のようにコンプレックスを感じることもなくなっていた。

そんな時、私の気持ちを地の底に落とす事件があった。
これはまだ自分の中で消化しきれておらず、正直思い出すのも辛いので、まだきちんと文章にできない。
かいつまんでいうと、親の経済的な困窮であった。

これは普段から「ウシジマくん」や「ミナミの帝王」を愛読している私が冷静になって考えると、相対的に見てもうどうにもならないというレベルではない。
特別ものすごい借金があるとか、一家離散・自殺寸前みたいな状況でもない。

だけど、この事実を知ったのが妊娠中だったこと、老後資金2000万円が声高に叫ばれている世の中だったこと、そして何より今まで親に厳しく育てられてきたことに対する反発が一気に爆発して、私は我を失って親に暴言を吐いた。

ちょっと待て、私は高いおもちゃも服も買ってもらわず、何にもねだらず、習い事もしていないし、塾にも通わず、小中高と公立校に通い、大学だって行かなかったのだ。
平均と比べて教育に対してほぼ親に負担をかけていないはずなのだ。
生活費だって一度も親に頼ったことはない。

それどころか、周りの子が遊び歩いているときに家に閉じ込められ、常にいい成績を取るようにと厳しくされてきた。

その結果がこれ?それは何のための教育だったの?

父親はことあるごとに「お前たちは本当に立派に育ってくれた」と言っていた。それを言われるたびに私は、それが父の手柄であるように強調されているような気がしていた。

立派にとは何?人に迷惑をかけない大人になること?経済的に自立できること?
確かに私は品行方正に生きている方だと思うし、経済的にも自立できた。
それは果たして親の成果だったのだろうか

そしてそれが「立派な生き方」「正解の生き方」だとするならば、なぜ親は今自分自身がそんな状態になっているのだろうか。
私はそんな生き方を強要されるのにも反吐が出ていたが、少なくとも親自身はその模範となって率先垂範して生きてくれているのだろうと心のどこかで思い込んでいた。
それが私の心の均衡を保つ唯一の希望だった。
正しいかは別として、「自分たちはそうやって経済的にも、精神的にも素敵な人生を送っている」そう親が示していたのであれば、なるほどそのプロセスを子どもに要求するのもまあ致し方ないかもしれないと、溜飲を下げることができたからだ。

だが、結果はこの自体である。
私はやるせなさと、怒りで自分をコントロールできないレベルにまでなっていた。一家の大黒柱を語りながら、全然大黒柱としての役割を果たせていない父にも、ずっと一緒に生きてきながら大事なことは父任せで自らの意志なく看過してきた母にも、何も考えず、また問題の当事者にもなろうとしない妹にも腹がたった。
家族とは一体なんなんだろう。

これは短期的な憎しみではない。私の30数年間の人生全てをかけた怒りだった。

妊娠中のセンシティブな時期にこの話を聞いたのも辛かった。
ストレス耐性が高い私は、ちょっとやそっとのことでは凹まないのだが、この時ばかりは1人号泣し、夫に「もうちょっと心がダメかもしれない」と弱音を吐いた。

この事件を皮切りに、私と親との間には決定的な溝ができた。
長男妊娠の時だったので、今から3年前。
3年たち、今ようやく少しずつ私から歩み寄れるようになってきたが、正直まだリハビリ期間で、この怒りを完全に断ち切れない自分がいる。

出産後1年間は子どもの顔を見せるのも本当は嫌だったほどだ。
だが、紛いなりにも彼らの祖父母なのであり、孫の誕生を心から楽しみにしている両親を見ると、私は鬼にはなりきれなかった。
自己矛盾と葛藤し続ける3年間だった。

一方で、経済的に困窮しているのに「孫にプレゼントを買いたい」などと言われるのは我慢がならず、全て断ってきた。
私が強く言うので、親も滅多にそんなことは言わないようになったが、最近は負担にならないような少額のものだけ購入を許可している。(孫へのプレゼントは喜びらしいので、あえて許可とかく。私にとってもそれは紛れもない「許可」なのだ)

ああ、正直書いていても自分の心が傷ついていく。

そうして、私はまた「別世界コンプレックス」の住人になってしまったことを痛感するのだ。

SNSでは同じく子どもを持つママたちが「じいじからコレ買ってもらったよ」とブランド物の子ども服をアップしている。
「ばあばと一緒に旅行」と海外旅行の写真が目に入る。
「孫バカでこまる〜!」「高いものはじいじとばあばに買ってもらおう!」というライトな自慢投稿を見るたびに、心がえぐられる。

いいよね、親が経済的に充実していて、孫を思いっきり可愛がってもらえるって。そしてそういう人は自分自身も経済的に恵まれて育ってきたケースが多い。
私立の幼稚園?小学校?中学?大学?留学?インターナショナルスクール?ボーディングスクール?海外旅行?東京生まれ東京育ち?彼らにとってはそれが恵まれているという意識がないことがよくわかる。

私の父は子どもが好きだ。私だって皆のように、思いっきり孫を可愛がらせてあげたかった。
でも私の怒りがそれを許さない。それを許してしまったら、私は過去の自分とどう折り合いをつければいいんだろう。
これはきっと私を死ぬまで苦しめる。いつ、許せるようになるのか、諦めがつくのか今の時点では検討がつかない。

私はこの事件の前に、少しでも親孝行をしようと思い、福岡に親が住むための中古マンションも購入していた。
新築でもないしそんな大した価格ではないが、月々自分の家賃とは別にローンを払い続けるのは正直しんどい。
でもこの経済状況を知って、買っておいてよかった・・・と心から安堵した。というより、そのまま親が家賃を払い続けていたら一体どうやって生活しようとしていたのだろう?
全くこの無計画さにまだまだ怒りが治らない。

事件のあと究極に落ち込んだ私を最終的に救ったのは何だったのか?
それは時間でも夫でもなく「生活保護」と言う4文字だった。
そうだ、日本には生活保護という制度があるんだ。最悪の最悪どうにもならない状態になっても、生きてはいけるかもしれない。

これが今私の最後の生命線である。
ただこれから介護が必要になるかもしれないし、親が働けなる日も近いだろう。その時のことはもう考えたくもなくて、一旦私の心が少し回復するまで知らないふりをすることにした。
このままでは自分が壊れてしまうからだ。

鈴さんが書いていたが、

英語の民間試験が大学受験に必須?英検の受験料が皆払えると思ってるんですか? 思考力や文章力が重視される? 現代文の得点が、触れる情報量の差から圧倒的に地方のほうが低いのをご存知ですか?留学プログラムの書類。今まで「自分をアピールする」経験なんて一度もしたことない、本当にいちばん海外から遠い子たちは応募書類を書くのもままならないこと、知っていますか?課外活動?地方では突飛なことして失敗したら、一生その町で馬鹿にし続けられることを知っていますか?それら全部含めて、「自己責任」ですか?あなたが今そこで議論していられるのは、全部あなたの努力のお陰ですか?ディベート大会の議題で「貧困を体験すべきか」があげられる世界なんておかしいと思いませんか?本屋、電車、塾、ぜんぶぜんぶ、当たり前にあるものだと思っていませんか?

この文章は本当に心に突き刺さった。
本当にそうなのだ。親が何でも買ってくれる。孫を甘やかす、それは普通なんだろうか?
一方でうちみたいな家庭もあるし、さらにもっと困窮している家族もいっぱいいる。
給食費が払えない、学校にいけない、今日の食べ物に困るそんな家庭だって日本にもたくさんあるのだ。
経済的な格差だけではなく、東京生まれ東京育ちの人と地方生まれ地方育ちの人の情報の格差もかなり大きい。
当たり前だと思って普段発信している言葉は、決して皆の当たり前でも普通でもない

もちろん、SNSでの発信や友達との会話は自由だ。とくに本人たちに自慢をしている意識だってないし、私だっていちいち嫌な気持ちになっているわけではない(もう慣れてるし)
一方私の発信に傷ついたり、嫌な思いをしている人もいるだろうと思う。私の日常である「結婚」や「子ども」や「好きな仕事につけている」だって、当たり前のことではないのだから。

自分の生活は人生は、普通なんだろうか?この投げかけを今私も世の中に問いたい。
対比するように書くのは意地が悪いが、仁禮さんの記事にはこのような一文がある。

「社会の仕組みをもっと早く知りたいと思ったことも、起業の動機の1つでした。起業の資金については、たまたま通っていた合気道の先生が投資家の方で、起業プランを説明し、出資してもらいました。両親は、普通の会社員と主婦ですが、“なぜ起業したいのか、その理由がはっきりしているなら応援する”と言ってくれました。恵まれていますよね(笑)」

習い事にいくことだってできない子達はたくさんいる。
普通の会社員と主婦?専業主婦なんて、もはや今の時代、経済的には完全な「勝ち組」である。
6割の家庭は共働きで何とか世帯年収を確保して生きている。
「普通の会社員」といえば「社長」や「経営者」と言われるより何だか身近な錯覚を起こすが、インターナショナル幼稚園に通わせ、子どもに受験をさせてあげられ、慶應大学に通わせてあげられる「普通の会社員」の家庭なのだ。

やっぱり世の中のマジョリティとの比較でいうと、完全に「生まれもって裕福」の部類に入るのではないかと思う。

決して彼女が悪いわけではない。恵まれた環境に生まれ育った人たちからすれば「そんなやっかまれたってねえ…」というのが本音だろう。
だが、少なくとも自分が恵まれていること、そして世の中がそんな人ばかりではないことを知ってほしいと願う。

だって、力があるのだから。
彼らには、世の中を動かす資金も、投資されたゆえに得ている知力も、同じ環境で育ってきたハイクラスな人脈もあるのだから。

それを世の中に還元してほしいと願わざるを得ない。

教育格差は親の経済格差

私は先述の事件後、かなり自分の人生に対して強い危機意識を抱いた。
今までのほほんと生きてきてしまったが、気を引き締めて生きていかねばと、急ピッチで「お金の勉強」を始めた。

30代を超えて遅すぎるスタートではあるが、それでも今日は残りの人生で一番若い日なのである。後悔も躊躇もしている暇はない。

また子どもを産んでいろんな子を持つ親たちとコミュニケーションをとるようになって、やはり「教育格差=親の経済格差」だなと感じるようになった。

今、私自身は金持ちでも何でもないが、相対的にいうとかなり恵まれているポジションにいる。
少し前までは夫がフリーランスで収入が安定せず、これはヤバイ…!と追い詰められたこともあったが、最近転職し生活はぐんと安定した。

とはいえ、可変性の大きな世の中で何の保証もないわけだが、いざとなっても今までの経験を活かして仕事はどうにかなる!と思えるところまではきているし、病気などのリスクにもそれなりの備えはしている。

自分自身がそのポジションにいるからこそ、そしてこの東京23区で暮らしているからこそ、周りには同じレベルの人たちが集まりやすい。
彼らは一様に「そこそこ恵まれた」部類であり、そして「そこそこ教育意識が高い」

今長男が3歳。我が家はまだ習い事などは何もさせていないが、友人の中には月に数万円もかかる幼児教室に通わせたり、数個の習い事をやらせている人も多い。
正直私も親の家のローンがなければもっといい教育を子どもたちに与えてあげられる…と悔しく思うが、無い袖は触れないので、そこは工夫で何とかするしかないと思っている。

小学校受験やインターナショナルスクールの話が会話に出てきたり、知育や非認知能力、モンテッソーリなんかの話題に自然になるコミュニティを見ていると「ああ、ここは恵まれた世界なのだな」といつもどこか客観的にそう思ってしまう。
私自身も教育には興味があり、たくさん本を読んだり調べたりはしているので、ある程度の知識は持っているし、興味もある。

自分の人生での後悔だけはさせたくないとも、自分自身や親を反面教師に思う部分も多い。
だが、やっぱり東京でも「高級住宅地」に住むのは、たとえそのお金があったとしても、何だか居心地の悪さを感じてしまって、疎遠してしまう。

私はいまだに「生まれながらにして持っている」人たちへのコンプレックスをぬぐいきれないからだ。
まだまだ人間の器が小さいなと反省しきりだが、やはり彼らの独特の品のある雰囲気はむず痒いし、何より彼ら自身が「それが当たり前」だと思って生きていることが一番私を傷つけるからだ。

私は今、親の状況はさておき、自分自身は相対的に「そこそこ恵まれている」方だが、こういう人生の背景があり、その部類の中ではかなりコンプレックスを持っている方だと思うし、「そうではない人」の気持ちがわかる方だとも思っている。

自身の行動としても、自分のポジションをあくまでも客観的に把握して、そこに感謝をして、できる限りそれを社会に還元する生き方がしたいと思っている。
だからもう10年くらい、アフリカの子どものチャイルドスポンサーもしているし、少し小銭ができたら積極的に寄付をするように心がけている。

最も嫌いなのは低俗な金持ちだ。
自身の努力で金持ちになったのだから(そうじゃない人もいるけど)それをどう使おうが勝手だろうというのは正論だが、人としてあまりにさもしい。

孫さんとか、前澤さんとか色々言われてもやっぱり社会にお金を分配する人はすごいなと思うし、金持ちってそうあってほしいよねと強く願う。

気づけば私のポストも1万字に到達しそうになっている(笑)熱が入りすぎてしまった。
突然まとめるが、言いたいことはこの二つ。

「自分が恵まれた環境になくても、人生は切り開ける」
これは鈴さんに励まされた私の感想だ。彼女のように、立ち向かう人を世の中は皆応援している。

「自分が恵まれた環境にある人は、誰かを助けられる人であろう」
仁禮さんのように起業して社会貢献するのもいいし、寄付をしたり、自分にできることを考えてほしい。

世の中をもっともっとよくしていきたい。それは環境は違えども2人に共通する使命感なんだろう。
こんな若者がもっと増えるといいなと思うと共に、もう若者というには微妙なお年頃な私も、まだまだ自分にできることを考えて、少しでも社会に貢献をしていこうと強く思っている。

思わず社会の分断を「最悪」だと思った気持ちを、前向きな行動に変えて。






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