
「人間」を楽しみ、諦めない
夏目漱石の「こころ」
ドフトエフスキーの「罪と罰」
ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」
私は人間の剥き出しの心理や、感情の機微について書かれた本が好きだ。
40年生きてきて「人間」って何て面白いんだろうとつくづく感じている。
こんなに複雑性が高い動物に産まれたことを心底恨むこともあったし、だからこそ得られる繊細な美しさに心が震えたことも何度もある。
私が家族も含め「組織」というものに強い興味を持ち、人との関わりを自分の核に置くのも"人間であることを最大限に楽しみたいから"なのかもしれない。
例えば冒頭であげた名作のように「恋」をすることで、深く温かな安心と愛情を受け、そして同時に心が切り裂かれるような悲しみや後悔、罪悪に苦しむ。だがそれを赦すのもまた人であるという事実。
誰とも関わらなければ、恋などしなければそんな感情の波に巻き込まれることもなく穏やかな一生を送れるのかもしれない。
だけど、私は人間であることを存分に味わってこの人生を終わらせたい。
どんなに悲しみの涙を流し、苦しんだとしても、やはりそう思ってしまう。
チャーリーが教えてくれたこと
「アルジャーノンに花束を」はいつか読まねばと思いつつ機会を失い、ようやく今年手に取り読了したのだが、やはり「こころ」や「罪と罰」を読んだ時のような深い衝撃を受けた。
切なく悲しくもあるのだが、人の心の美しさに触れ、温かい抱擁のような感動が、読後暫く身体の芯にじんわりと染み込んでくるような本だった。
知能の変化によるストーリーだが、人間が産まれてから老いるまでの起伏にも通じるものがあるように感じた。
詳しいストーリーについてはネタバレになるのでここでは沈黙とするが、「知能が高ければ人は幸せになれるのか」と言う点については、今5歳と7歳の息子の育児真っ最中の身としても、考えさせられるものがあった。
私は「教育」が人間社会において本当に本当に大事だと思っている。
世界をより良くしていくためには、結局教育なのでは?と本気で思っているのでいつかそこに身を捧げたいとも感じているのだが、現在はたった2人の子のことですら手いっぱいで、日々ヒーヒー言いつつ葛藤を繰り返している。
巷には教育に対するコンテンツが溢れ、いわゆる学力・知力アップのための幼児教育は年々早期化。
子どもに生きるために十分な知力を与えたい、賢く育って欲しい。そんなエゴに近い気持ちを私も1人の親として持っている。
そして同時にアリスがチャーリーに感じた寂しさのように、優しさや思いやりを失ってほしくないとも強く願っている。おそらくそんな当たり前のこと、殆ど全ての親が思っているはずだ。
だけど、テストの結果のようにわかりやすく定量化されないそれはジワジワと私たちの判断を鈍らせる。
何より「優しさ」や「思いやり」のような抽象的で不確実なものを教育によって担保するのは難易度が高い。
だが、私たちは親としてそこを諦めてはいけない。「アルジャーノンに花束を」のチャーリーはそれを教えてくれた。
知能は人間にとって重要な要素である。
ただ知能だけが高くても人は幸せにはなれない。
健やかに生きる能力
IQとEQなどとよく言われるが、むしろAIが目まぐるしく発展し「知能」で勝てない時代になった今、本当に工夫が必要なのはEQの育み方である。
自己理解、自己制御、自己動機付け、他者理解・共感、人間関係・社会的スキルがその要素だと言われるが、いやそんなの大人でも難しいわと思うのが本音である。
私自身も「IQよりEQ」を自己紹介のキャッチフレーズにしているくらいだが、じゃあ完璧なEQを持っているのかと言われれば無論そんなことはない。
EQの強さは健やかに生きる能力だと感じており、私はここに真摯に向き合いたいと思っている。
子育てにおいても、親としてどんな環境をつくり、どんなコミュニケーションをとればその一助となれるのか。
そして、同時に自らのEQもより鍛錬していく覚悟である。EQは後天的に身につけるものであり、かつそのトレーニングは死ぬまで続けられるからだ。
ある側面では私は子どもたちの教師であり、彼らもまた私の教師である。
教育は怖い。
このかけがえのない存在の人生の一部が私や夫の言動で決まってしまうことは、ある意味では恐怖である。
だからこそ、学び、内省し、そして常に謙虚でありたい。まず自分自身が慈愛を持ち、健康・健全であるように心がけたい。
そうやって努力することも、苦しむことも、迷うことも戸惑うことも、人間らしくてやっぱり私はどんなに大変でもそれを経験したいなと思ってしまう。
自身の人生の幕切れが訪れた時、今までの人生での悲喜交々色んなことを思い出すだろうか。
その時にチャーリーが最後に放った言葉のような慈しみを持てていたとしたら、私は全てひっくるめて健やかな気持ちで眠りにつけるような気がしている。
私はこれからも「人間」を楽しみ、そして諦めない。
最後は、「あー楽しかった!」と言って死にたい。
いいなと思ったら応援しよう!
