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今まで「優等生じゃなきゃいけない」、と思い込んでいました。

いつもありがとうございます、石塚勇気です。


あなたはどんな子ども時代を過ごされましたか?

どんな子だとまわりから言われていましたか?

何を感じていましたか、自分のことは好きでしたか?


幼少期はあなたにとって、大切な時期でもあるし、思い出したくない時期のこともあるかもしれません。

僕自身にとっても、子どもの頃のことはとても大事な時期なので、日常の中で思い出してみることがあります。

その目的は、自分自身の心は何に縛られているのか、知るためにです。
つまり、子どもの自分はどんなことを感じ、そこからどんな思い込みを持つようになったか、を点検してみるのです。


小学生の頃から、僕は人目を気にする子供でした。
手の甲にほくろが2つあるのですが、そのほくろを隣の席に座る好きな女の子に見られるのが恥ずかしかったことを思い出します。

家庭でのこともあり、何か常に晴れない心、気持ちを表現するよりも押しころすことが多い時期でもありました。


いつの頃からか、勉強ができないといけない、まわりからできると思われたい、人から好かれたいという思いがとても強い自分になっていたのです。

いつもちゃんとしている優等生、落ち着いている人、物わかりのいい人、そういった自分でいないといけないと思うようになっていました。


まわりからどう見られるかということがベースになって、自分に対しての価値を感じるようになり、自己評価が揺らぎやすくもなっていました。

、、、とそんなふうに振り返っている今日でした。


優等生じゃないといけないと思っていると、いつも体が緊張し、自分の困っていることが伝えられない、できる自分は良くてできない自分はだめというレッテルが張られます。

子どもの頃に、うまくいったことは褒められて、できないときはそれではダメだと言葉にせずとも無意識に想いが向けられると、心に力が入るようになります。


あえてわかりやすく分析的に書いていますが、普段はもっと直感的に自分自身を感じ、理解を深め、整えています。

優等生でいなければならなかった自分、そういった自分を発見し、癒しを深めている最中です。

以前は、自分の心の色が脱色されているような感じだったのですが、今はアクアブルーが自分の心を見ると感じられるのです。
心に色が取り戻され、自分が色づいて見えます。


世の中も人生も、どんどん変化していくように、自分の子ども時代だって癒されることで確実に意識が変容していくものです。

優等生であっても、なくても、それも自分。
いろいろな自分を感じ、光が当てられていく。

そういった自己発見と、意識の変容の旅が面白くて生きています。


今日も自分が自分でいてくれることにありがとうを、僕に出会ってくれたあなたにもありがとうを。

これからも心を深め、より自分になっていこうと思います。
そこでの気づきをあなたにもお裾分けさせてくださいね。



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