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なぜぼくが「民藝」に興味をもったのか

ぼくは最近「民藝」ってのに興味がある。

「民藝」とは、「民衆的工藝」の略語で、今から100年ほど前に思想家の柳宗悦という人たちが造った造語だ。

当時は、明治維新以降に日本に浸透した西洋美術の影響もあって、美しいものといったら、高価で敷居の高い美術品などが多かった。

しかし柳宗悦たちは、日本各地で、昔からその土地の暮らしに根付き、無名の職人たちによって作り続けられてきた工芸品に「美」を見出した。

見出したというか、「それまでの美術史に評価されてこなかった日用の雑器のようなものの中に、疑いようのない美しさを感じた」みたいなものだと思う。

ここからが本題。
なんでぼくは「民藝」に惹かれるのか。



1.美しいってなんだろう

ぼくが「民藝」に興味をもったのは、何かひとつの大きな出会いがあったわけじゃない。

「民藝」ってなんだろうっていう気持ちが、じわじわと自分の中で膨らんでいった。

なんでだろう。

もとを辿れば、きっかけは高校の授業で、やきものや手漉き和紙といった伝統工芸にたくさん触れたことだったと思う。

ぼくはもともとものづくりが好きだったけど、高校に入ってからはそこに「伝統」というテーマが加わった。

そして実際に伝統工芸に携わる職人さんに会いに行ってみたりすると、うまく言葉にはできないけど、めっちゃいいな、、、と胸が熱くなったりした。

それと同時に、そういった伝統工芸が時代的なニーズの変化に伴って衰退していっている現状を目の当たりにして、なんとかしたいと思った。

伝統工芸は、もし消えてしまっても、そこまでたくさんの人を困らせることはないと思うけど、なぜか悲しくなる。なぜか失いたくないと思う。

ぼくは伝統工芸がもつ、言葉にならない美しさに心を動かされて、その頃から「伝統」や「美しさ」について、よく考えるようになった。

そういうことを考えていると、ふと手に取った本や足を運んだ博物館などで、「民藝」や「柳宗悦」というワードをよく目にするようになった。

それでぼくの中に、「柳宗悦」という人が提唱する「民藝」というものを探れば、何かありそうだなという漠然とした期待が膨らんでいった。

2.根っこを育む

話は変わって高校卒業後、ぼくは山奥の料理宿に丁稚奉公のような形で、1年間住み込みで料理の見習いに行くことになった。

その決めてとなったいちばんの理由は、「そこで食べたスープの感動が忘れられなかったから」だった。

ものをつくる人の下で手を動かして学ぶという経験をしてみたくて、言ってしまえば「なんとなく」というはっきりしない理由で弟子入りを決断したのだ。

でも今思えば、明確な目的をもっていなかったから、それなりにハードな生活も乗り越えられたのだとも思う。

料理を学ぶとは言っても、ぼくが包丁を握らせてもらえる時間はそう長くはなくて、たぶん畑で汗水流してる時間のほうが長かったし、なにより家事や掃除が作業の大半だった。

だから1年間の修行を終えても、特別料理のスキルが上がったわけでもないし、すごく専門的な知識がついたわけでもなかった。

だからもし、ぼくがそこに明確な目的をもって来ていたら、たぶん効率が悪く感じて耐えきれなかったと思う。

修行は自分に都合の良いゴールへの近道にはならないんだということを、身に沁みて感じた。

正直、ぼくもしんどくて「もうやめようかな」と本気で考えたこともあったけど、それが「自分にどんなメリットがあるか」ではなく、ただ「そういう経験をしてみたい」という気持ちがあったから、続けた。

でもモチベ維持のためにゴールや見返りを求めるとしんどくなるから、続けるためには無心で目の前と向き合い続けるしかなかった。

そうして1年を終えてみたら、当たり前なのかもしれないけど、自分が何を得て何を学んだのかは考えてもよくわからなかった。

でも、そういった表面的な変化はそこまでなかったものの、もっと自分の中の深いところにある感覚的な面では、何か変化を感じた。

思えばぼくのお世話になった師匠は「レシピを知りたいだけならここに来る意味はない」とはっきり言っていた。

きっと美しいものは、技術や情報のような「形」だけで成り立つものではなくて、言葉にならない感覚的な「中身」の部分が根っこにあって、生まれてくるようなものなんだろう。

ぼくの中にある、「美しいとは何か」という問いは尽きることなく、むしろ膨らんでいく一方で、でも、これといった答えは見つからないままだった。

3.「民藝」が求める美しさ

そしてぼくはついに、あの「民藝」に手を出した。

突然LINEで友だちから「一緒に民藝のこと勉強しない?」と誘われたのがきっかけだった。

どうやらその友だちも民藝に興味があって、ぼくがnoteで「柳宗悦」や「民藝」についてぼそっと言及しているのを見つけて、声をかけてくれたっぽい。

ぼくと友だちは、たまたまそのとき同じ本がそれぞれの手元にあったから、一緒にその本を読み進めてみることになった。

なかなか難しかったけど、ゆっくり時間をかけて読み進めていくうちに、少しずづぼんやりと、柳宗悦が説いた「民藝論」の輪郭が見えてきた。

と同時に、これまでぼくが経験を通して感じてきた何かが、柳宗悦の言葉と繋がっていくような感じがした。

例えば柳宗悦は、「工芸の美は無心の美」だと言う。

「名無き工人によって作られた下手のものに醜いものは甚だ少ない。そこには殆ど作為の傷がない。自然であり無心であり、健康であり自由である。」

「陶工の手も既に彼の手ではなく、自然の手だといい得るだろう。彼が美を工夫せずとも、自然が美を守ってくれる。」のだと。

こういった話は、ぼくが経験した料理においても少し通じるところがあった。

ぼくの師匠は料理をする時に「野菜を信じる」という言い方をする。

これは決して自分の都合の良いように期待するということではなく、人の手では超えられない素材の味を崩さないように、野菜の力にうまく任せてその結果を全て受け入れたいという気持ちの現れだと思う。

そこには自己の主張が少ないというか、対等に近いというか、うまく言葉にできないけどそんな感じがした。

そしてそうやってやさしい心で料理された食材は、脳を刺激するおいしさとは一味違う、心に染み渡るようなやさしい味になって返ってくる。

柳は民藝の美しさを「高きに仰ぐ美たるよりも、近くに親しむ温かさの美である」と言ったが、まさにそんな感じ。

ぼくが料理の見習い入る決め手となったあのスープの感動というのも、「親しさ」や「温かさ」という言葉がしっくりくるようなおいしさだった。

だけどやっぱりこういった美しいものは、レシピ通りすれば誰でも同じようになるというものではないんだと思う。

柳の言葉を借りればそれは、「手の所業というより心の所業」と言えるのかもしれない。

4.暮らしと社会

しかしそういった美しさは、この資本主義社会の中では失われていってしまうんだというようなことについても、柳は厳しく言及している。

「健全なる社会と工藝。この二者を分つことはできない。工藝の美は社会の美である。今日の社会制度は、工藝と美が求める制度組織ではない。」

「民藝の衰退は資本主義の勃興と平行する。(中略)「手工に帰れよ」という叫びは、いや強く求められるであろう。」

今の資本主義社会の構造が多くの社会問題を生み出してしまっているのと同じように、「美しさ」もまた、そういった社会の中でストイックに削ぎ落とされてきたもののひとつだと思う。

だけど「美しさ」と「社会」が互いに影響を与え合う関係だと考えると、そこに「民藝」のもつ可能性や、今の時代に「民藝」という概念が存在する意義があるような気がする。

例えば「民藝」という視点から「美しさ」を求めることで、それが加速する資本主義社会のシステムに歯止めをかけるムーブメントにだってなりえる。

自分のために、自分の暮らしを見つめて、そこに心地のいい居場所になるような美しさをデザインすることが、結果的に美しい社会を求めることにもつながっているのなら、いい循環だと思う。

「歴史は傾くとも、そこにある美は不変である。」ー柳宗悦

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