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【旅日記】ぼく的ウポポイのウポポイント

今日が北海道最終日。
ずっと行きたかったウポポイに行った。
ウポポイは2020年にできた、アイヌ文化が学べる大きな場所だ。
行ってみたら予想以上に大きかった。
まず入場ゲートが遊園地みたいでウポウポした。
そして博物館は国立!!って感じ。
シアターみたいな施設もあって、そこでは1時間おきくらいにアイヌの伝統芸能の上演とかをしている。

博物館はなかなか見ごたえだった。
ぼく的なウポポイントとしては、役目を終えた日常の道具などは、最後はわざと少し傷つけたり割ったりするということ。
アイヌでは、動植物も道具も、全てのものにラマッ(魂)が宿ると考えられている。
例えば狩猟で動物を殺したらその肉体は滅びるけど、ラマッは消えずにカムイの世界(あの世)に帰っていく。
だから使われなくなった道具を捨てたりするときは、わざと少し壊すことでそこからラマッが出ていくとされていたのだ。

なぜそこにウポウポしたのかというと、3週間前の伏線を回収してきたからである。
3週間前、ぼくは青森の三内丸山遺跡を訪れていた。
ぼくはボランティアガイドおじさんの話を聞きながら見学していたのだが、遺跡内の子どもの墓地の解説の中でおじさんがこんなことを言っていた。

子どもの遺体は大きな土器に入れて埋葬されているのですが、なぜかそれらの土器は道具として使った形跡があり少し割られているんです。なぜ新しいきれいな土器にに入れなかったのかは解明されていなくて、考古学者たちの持論の的になっているんです。

この話を覚えてたからウポッ!ってなった。
そこの縄文人たちもアイヌの人たちと同じような考え方をもってたんじゃないか思ったのだ。
土器は棺桶的な道具としての使われ方をされていただけではなくて、お供え的な意味も持っていたんじゃないかって。
道具としての役目を果たした大切な土器と一緒に子どもを埋葬し、土器の魂も送れるように壊してたのかもな〜って考えてみたりした。

あと自然の恵みに対して他力的で謙虚なアイヌの人のあり方も興味深かった。
例えば動物を弓矢で射抜いたとしても、「俺がやってやったぜ!」ではなくて「カムイが来てくれた」という捉え方をするらしい。
だから矢は招待状らしい。
SDGsみたいな言葉だけの共生じゃなくて、ほんとにリアルに自然と共に生きる中で育まれた人のあり方なんだろうと思った。

全てのものに魂が宿るとか、この世とかあの世とか、それがほんとなのかはわからない。
なんなら科学が進歩してそんなことはあり得ないっていう話もあるかもしれない。
だけど大事なのはそれが正しいかとかそんなんじゃなくて、自分がどうありたいかだと思った。
あたり前にあるものはあたり前にあるからほったらかしていても自分は困らないけど、ほんとにそんな人間でいいのかなって、アイヌの人たちをみて考えさせられた。

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