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教師時代の特別支援教育とカウンセリング論 (不登校について)⑥

私の持った事例は,平成の半ばに差し掛かるころ,大学院でカウンセリングの実習をしていたころのことです。中学2年の女子で「化粧に興味があり,好き勝手に外出しては,土日には友達とも出かけていくという風変わりな事例」でした。本人がはっきり言ったわけではないようですが,「ぺつに」「特に」と明確な理由があって不登校をしているわけでもなさそうなのです。

私が着目したのは,カウンセリングの初回に,父母に弟というメンバーで来られたことです。本人がいないのは,慣れていることなので,そこは普通なのですが,一家そろってくるというのも珍しいなと感じました。

特に両親そろって,とても物腰のやわらかい人で,父親にそれを特に感じました。今風の「子どもと友達のような父親」という感じです。学校へ足が向かないことは,もちろん心配して,大学の相談室に来ているのですから,ある程度は,子供の将来とか世間体とかも気にしていたようですが,困り切ったという切迫感は感じませんでした。

そのお子さんは,当時中2で,すでに親(教師や学校)より上の位置に行ってしまっているかのような,印象でした。家族療法の立場から言えば,親より上に立っている人間が,学校へ行くはずがありません。誤解の無いようにしたいのですが,仲の悪い家庭ではないというところが,肝心なところなのです。

もともと学校というところは,寺子屋から始まって明治維新に制度ができてからも,親の支配下(悪いい方をすれば下僕)にある子どもを教練するところでしたから。子どもの家庭での立ち位置を引きずり下ろすことはできなさそうなので,とにかく,特に母親に焦点を当てて支援することにしました。

中学生とはいえ,「人の考え方や立ち位置」をかえるのは,難しいです。カウンセラーや心理療法家を世間では魔法使いと勘違いしてる向きもありますが,本人が変わろうという意思がある人か,または,当事者ではなく困っている人こそが,カウンセリングの対象となることはあまり知られていません。

この事例の場合,当事者は困っていないので,母親(あるいは父親)の意識改革をしていく必要があると判断しました。時間はかかりますが,当事者の関心のある化粧の指南をするとか,料理やお菓子作りを一緒にしながら,腹を割って話ができる環境づくりをするようなアドバイスを母親から引き出しました。

アドバイスとはいっても,私が独断で考えるものではなくて,クライエント(母親)との話から引き出したものです。当事者の中学生は(もちろん子どもとして考えて未熟)目先のことしか今は見えていないので,少しずつでも,視線を未来へ先へと伸ばせるような会話ができるといいなと思いました。

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