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【エッセイ】無宗教でも神に会える山

(1260文字)

登山をしていると、特別に好きな山ができたりする。
ボクとって、それは山形県の月山。
前にバーチャル登山でも案内した山。
子供の頃、登山をしていた叔父に連れてきてもらったこともあった。
色濃い夏の山に、黄色く広がるニッコウキスゲが印象的だった。
今ではほとんどの登山道から登り、もっとこの山のことを知りたいと思っている。

月山といえば約1000年前に開山された、出羽三山信仰の主峰で月読命を祀る。
自然環境や山の成り立ちの話も面白いが、やはりこの信仰が月山を特別な山にしている。
昔のように盛んではないが、今でも伝統的な祭事は行われている。

ボクは至極一般的な日本人的無宗教。
墓は仏教のお寺にあるけど仏教徒の自覚はなく、初詣や何かの際に神社で柏手を打つけど神道の自覚もない。
神を信じるかと言われれば、信じているとは言えない。
だけど月山の登山道、昔の登拝道を歩いていると感じるんですよ。神ではなく、ここを歩いた人々の思いや祈りを。
なんてちょっと重々しく書いたけど、月山信仰が盛んだった江戸時代の人たちはそれだけではなく、多分に楽しみや一生に一度あるかないかの旅行という意味合いも大きかったわけだけど、それはまた別の機会に。

神についてはTEDに面白いスピーチがある。

スピーカーのアンジャリ・クマールさんは、かなりマイノリティな宗教を信仰する家庭で、スピリチュアルなことに興味を持って育つ。
神とは何かを探求する中で、ブラジルの信仰治療師ジョン・オブ・ゴッドに会いにいくことにした。
彼は死者や霊と話すことができて、彼に3点治して欲しいことを提出すると、聖人や医師の霊に願いが叶うように働きかけるという。
しかも彼に会いに行く人は代理人になることも可能。つまり、他の人たちの願いも伝えることができる。
そこで彼女は仕事で関わる人や近所の人たちにその話をすると、願いを叶えて欲しいとたくさんのメールが届いた。
そして、その内容は、一部の例外を除いて全て同じだったいう。
それは、自分や大切な人の、健康、幸福、愛情。

誰もが健康で、幸福感に満ち、愛情に溢れた生活を望んでいる。
そして、自分が大切な人もそうあって欲しいと願っている。
それは多分、月山への長い道のりを歩いた人たちも同じだっただろう。
時には命がけで、中には遭難した人もいた。
それでもたどり着いた月山の頂上にある神社が見えてきた時にはどんな気持ちだっただろう。
そう思うと、自分の願いもそこに置いて行きたくなる。

人間全ての望みが自分や大切な人の、健康、幸福、愛情であれば、人はなんと遠回りをしながら生きているのだろう。
愛情が欲しいだけなのに、求めすぎたりすれ違ったり。
幸福になりたいだけなのに、そのためのお金集めに苦労したり争ったり。
そして国同士で殺しあったり。

ボクはまた10月の紅葉シーズンに登拝道として使われていた登山道から月山に登る予定にしている。
昔の痕跡を探しながら、ここを歩いた人たちの祈りを感じながら歩く。
神は三つの望みを叶えたい気持ちそのものなだとしたら、やはり月山は神に会える山なのだ。

たくさんの墓石や仏様が安置される胎内岩
あまり人が来ない月山の東斜面

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