『 「魂」 』
前回の『「神」と「悪魔」』に引き続き、今回は「魂」についてです。
「○○で習ったのとは違う」でしょうし、僕もどんどん変わります。
そして捉え方は人それぞれですから、今回も十人十色、百人百色の一つとしてお付き合いください。
(※画像はフリー素材からお借りしています)
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「魂」と「靈」は境目が曖昧です。
「靈」は「れい、たま、ひ」どう読むかでも違うでしょう。
言葉は音を元とした波動であり、文字はそれを書き残すための記号です。
日本語における漢字は元々ある言葉に対し後から割り当てたものです。
漢字や読みを使い分けるのは、同じものを視点を変えて表しているのかもしれません。
個人的には「魂の各次元への顕れ」が「靈」なので、まずは元となる「魂」について見ていきます。
関連項目
第20回 『「神」と「悪魔」』
第22回 『「靈体」と「次元」』
第23回 『「肉体」』
【 「魂」 】
「魂」は神から生まれたエネルギーであり、神の一部です。
永遠のような時間をかけて成長し、結果的に神を押し広げてゆきます。
魂は、神から生み出され
神の中で神の分身である肉体を借り
神の一部である無限の「思考」を受け取りながら学び
その因果を情報として神にお返ししつつ
いつかは「神」としてあるべく成長してゆきます。
己に起こる事象は、それに対し選択した「思考と言動」を因とし、生まれた果と合わせ、さらにそこにある「思い」と共に「経験・情報」として魂に蓄積されます。
それは同時に宇宙に放出され神の一部としても蓄積されていきます。
蓄積された情報は、必要とする誰かへの「経験者からのアドバイス=思考」として選択肢のひとつになり、そこで選択されれば更なる因果を得て情報量を増やし、また蓄積、放出と無限に循環し続けます。
魂と思考は互いに成長を促し、神というエネルギー(情報)を広げていきます。
つまり「魂」も「思考」も因果という情報を糧に成長する「異次元世界の生きもの」なのです。
【 「思考(念)」と「心」 】
「思考」とは脳が考えて生み出すものではありません。
脳が思考の元だとすれば、肉体のない「靈人」は思考能力がないことになりますよね。
脳は肉体の機能であり、選択された「思考」を瞬時に「肉体」に反映したり言語化するスーパーコンピュータのような役目です。
「思考」は己の魂に刻まれた記憶といったデータベースや他存在から受け取る情報のことです。
情報=「念」と取れば「思念・想念」と置き換えることもできます。
思考の出所はいくつかありますが、他存在由来の場合は、
・肉体という生命体からの情報(遺伝子由来、肉体的欲求、五感からなど)
・己に関与する他存在の記憶から出たもの
・宇宙(=神)に満ちた膨大な情報が高次元の靈へ、靈から靈へ、、、靈から人へと瞬時に繋がり絞り込まれて与えられるもの
などがあります。
電磁波を使って「脳」に直接働きかける技術もありますから、「肉体経由の偽情報(=思考操作)」でないかどうかも見分ける必要がありますね。
(※思考操作の参考記事)
『液状金属の応用と身体への影響(2)』
『液状金属の応用と身体への影響(3)』
その「思考」を受け止めるための器を「心」といいます。
例えば金属なのか、陶器なのか、竹ざるなのか、性質や大きさ、どこに向けるかで得られるものが変わります。
テレビのアンテナのようなイメージですね。
【 魂がまとう情報の糸 】
生まれたての魂は小さな小さなエネルギー体です。
そこを核として、長い時間をかけ何度も「生まれ変わり死に変わり」しながら姿形を変え、経験し多くの情報をまとってゆきます。
魂は、おこる事象を「心のあり方」でそれぞれの色に染め、束ね、または紡ぎ、巻き取り、記録の糸の手毬のように大きくなります。
過去生を含めた己の全てがそこにあるのです。
魂の僕のイメージは、まとった糸を情報・波動=「意」と見た「玉し意」といった感じです。
もちろん糸に連続性を見るか、事象毎の短い糸のより合わせと見るか次第で、綿菓子やマリモのようにも、雪だるまにも見えますし、毛糸玉でも構いません。
もし情報に方向性(指向性)を見出し、分類し蓄えてゆけば、ウニのような形かもしれませんね。
【 情報と着色 】
情報という半透明な糸には、さまざまな色が着いています。
色もエネルギーですが、質に相当するといえば分かりやすいでしょうか。
自身と相手の思いの影響を受け、光り輝いたり、鈍色だったり、暖かかったり、沈んでいたり。
あらゆる経験は、その時々の「思い」と共に紡がれ巻き取られていきます。
そこにあるのは「因縁」でもあるのです。
苦い記憶も、甘い記憶も、経験と共にある「思い」次第です。
情報は「量」も「質」も大事であり、総合的な「質量」が靈性を表します。
情報はそのまま神へと映りますから、量が増えても質が下がっては大神の進化へ繋がりません。
染める色も力も心のあり方次第。
真っ黒に見えた情報でも薄くしたり、時には違う色にも、光り輝かせることもできるのです。
思考や感情は選べるのだから「どんな色に染めるのか」こそが、全ての魂に許された本当の意味での自由であり、大切な仕事なのです。
【 色、柄は本質 】
魂にまとった色や柄は「今までの己」をそのまま表していますから、目の先を取り繕っても、下地(本性)は隠せません。
どんなに大きくても、美しい柄でも、その下にドス黒い糸が幾重にも重なっていれば、下が透けて黒に色に染まるのです。
もしもその黒を減らしたければ、他の色を幾重にも重ねていくか、黒い糸を浄化してゆくのか、または抜き取っていくのか。
方法は何であれ、少しずつ努力するしかありません。
そしてたとえ黒とはいえ、己の記録ですからできればうまく残したいもの。
金色には黒を含んだ多くの色があり、多少の陰影は柄を引き立てますし、嵐を知ればこそ晴れ間がありがたい、とも思えるのです。
また、一つ一つの記憶は「事象」に対する「思いの在り方」で構成されていますから、過去に向き合い、黒い思いを薄くしたり、色を付け直すこともできます。
黒歴史だって、いい思い出に変えることができるのです。
日々顕れる苦しみや悩みは、魂に巻き取られた「黒い何か」を浄化し、芯から光り輝くため与えられる仕組みなのですが、そこに気付けば全てがありがたくて、さらに浄化は進みます。
ただし「苦しみも仕組み」とは言っても、あまりに強烈な悪意は糸どころか布のように急激に魂を覆うことがあります。
また綿ボコリのような悪意はじわじわと積もれば気付づきにくく、厚くなれば己という色や柄、光も失い、操り人形となります。
だから常に己をサニワしなければならないのですね。
【 古い魂 】
時に「古い魂」といった表現を聞きますが、三次元的な時間で古いかどうかと靈性(質量)は比例しません。
靈の世界では時間や距離の制約を受けませんから、それぞれ次第で瞬時に学びを深めることも、何千年でもずっと変わらないままでもいられます。
ゆっくりと歩み続ける人もいます。
後から来て、一気に駆け抜けてゆく人もいます。
休んでいるのか、ジャンプのため屈んでいるのかも分かりません。
道だって正解はありません。
上質な学びができるようになれば、一気に変わることもあります。
学びに上下はなく、遅し早しだけです。
学びは永遠に続くのだから、今を誰かと比べることに囚われる必要はないのです。
【 情報の調和 】
前回の「神」にも出てきましたが、情報というエネルギーは単純な加減式ではありません。
そして大事なのは、波動は影響し合うということです。
下にある黒い糸は透けて見えますが、逆にその黒い糸も周囲の影響を受けて、僅かでも変わっていきます。
魂同士だって、すれ違うだけでも影響し合うのです。
それぞれ魂は一つ一つに違う凸凹があり、完璧な「○」でないからこそ歯車のように噛み合い、大調和を求めて宇宙全体を動かしていきます。
全てが変わらないようでも少しずつ変わってゆく、大神の仕組みです。
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今回は僕たちの元である「魂」についてでしたが、次回は「靈」について考察していこうと思います。
よければまたお付き合いください。
(※参考記事)
FBへ投稿した時を振り返ると今とは表現が違い「その時々だなぁ」と我ながら思うので、参考までに載せておきます。
20211206 M研究所レポート 第31回 『「靈」と「魂」』
20211220 M研究所レポート 第32回 『 次元(前)』
20211228 M研究所レポート 第33回 『 次元(後)』