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「かわたれ(彼は誰)どき」は、明け方、夕方? 「たそかれ(誰そ彼)どき」と『黄昏エレジー』
あけましておめでとうございます。 2025年最初の淺野幸彦メールマガジン第120回目の「リベラルアーツ事始め」をお送りします。
新年早々、夢の中でもテーマを考えたり推敲したりしています。
今年も森羅万象、古今東西、過去現在未来のほんの一隅の事柄についてですが、前回取り上げた言葉「一隅を照らす」つもりで、敷居は低く間口は広くできるだけ奥行きは深く考察していこうと思います。
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◆「たとえ世界の終わりが明日でも私は今日リンゴの木を植える」
について書き残したことについては・・・
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前回はルターの言葉として伝えられている「たとえ世界の終わりが明日でも私は今日リンゴの木を植える」について取り上げました。
この言葉はいつ、どうしてルターの遺した言葉だと言われるようになったのか?
なぜリンゴの木を選んだのか?
エデンの園の禁断の果実とこの箴言のリンゴは関係があるのか?
ことしは蛇年だけれども聖書に登場するエデンの園の蛇はなぜ禁断の木の実を食べるようイブを唆したのか?
また、 「世界の終わり」というフレーズと、ハルマゲドンや最後の審判との関係は?
などについてはまた、日をおかず取り上げようと思います。
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◆新年早々『黄昏エレジー』
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今回は私がかつて、唯一無二の歌声を持つ遠藤雅美(*1)さんというシンガーソングライターのために作詞し、彼女が作曲、歌ってくれた『黄昏エレジー』について。
新年早々、『黄昏(たそがれ)』とはいかがなものかと思う方もしらっしゃるかもしれませんが、たそがれだけではなく、夜明け、明け方の古語についても考察しますので大目に見てくださいね。
まずは、彼女が最近レコーディングし直した『黄昏エレジー』を以下のurl. (*2)にアクセスして聞いてみてください。
(*1) 遠藤雅美:https://masamiendo.com/
(*2)『黄昏エレジー』url.:https://tinyurl.com/y494r474
詞先行なので苦労したかと思うけれどジャジーなバラードにという注文にも応えてくれ、美しい曲が完成。さすが! 比べるのはさすがにちょっと気が引けますが、Duke Ellington(*3) & John Coltrane(*4)の『In a sentimental mood』(*5)のような極上の大人の(ロスト)ラブソングに仕上がっていると思います。
(*3)Duke Ellington(デューク・エリントン):https://tinyurl.com/4s9wmyxc
(*4) John Coltrane(ジョン・コルトレーン):https://tinyurl.com/2evt5jka
(*5) Duke Ellington & John Coltrane『In a sentimental mood』:https://tinyurl.com/ykfvbr47
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◆『黄昏エレジー』歌詞
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かわたれ(彼は誰)どきに出会って
たそがれ(誰そ彼)どきに別れたの
かげろうのように
かそけき私たちのあわい恋
ありあけどきに 霧の向こうから
訪れる人の影
彼は誰
出会いのよろこびに
心も体もふるえてる
「世界の果てまで一緒に行こう」
あなたと約束した懐かしい はるかな朝
いつもの二人の日の始まり
でもいまは
黄昏エレジーが流れている
ねぇ、マスター
いつものカクテルつくってちょうだい
世界を切なさがおおいつくしてく 黄昏エレジーを
かわたれどきに始まって たそがれどきに終わったの
エフェメラのように はかない私たちの想い出が
逢魔がどきに 闇の向こうに 消えゆく人の影
誰が彼 別れの悲しみに 心の中から冷えていく
「世界の外ならどこへでも行こう」
あなたのいない いろをなくしたこの世界から
たった一人の日の終わり
そしていまは 黄昏エレジーが流れている
ねぇ、マスターいつものカクテルつくってちょうだい
世界が哀しみに塗りつぶされていく 黄昏エレジーを
黄昏エレジーを
ふたりの黄昏エレジーを
~作詞:淺野幸彦 作曲・歌:遠藤 雅美 (Masami Endo)~
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◆『黄昏エレジー』歌詞 解題
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もともと『黄昏エレジー』は、友人が店長をやっていたこんなバラードが似合う鎌倉市の大船駅笠間口近くにある知る人ぞ知る隠れ家バー(*6)の名前です。
この様々な物語が生まれそうな素敵な店名にインスパイアされて書いた詩です。
(*6) Bar 黄昏エレジー:https://tinyurl.com/rt3vr26m
https://tinyurl.com/5edk33zu
この歌のキーワードになっている「かわたれ(彼は誰)どき」と「たそがれ(誰そ彼)どき」。
「かわたれ(彼は誰)どき」は、早朝、夜明け、明け方の意味で使われている古語です。
必ずしもそうではないという見解もあり、友人と議論にもなりました。
それは後述します。
かわたれは新しい出会いです。
一日の初めに新鮮な気持ちで出会った「彼は誰」と気になってしまうときめきを感じさせます。
「あり明け」も明け方の別の言い回しですね。
また「たそがれ(誰そ彼)どき」はもちろん夕方、夕暮れ時ですね。
「そこにいる彼は誰だろう。良く分からない」 「逢魔が時」、魔と遭遇してしまうかもしれないと言われていた時間、センチメンタルになる日の終わりは、夜の闇にやむに包まれていく禍々しい時でもあると昔の人は考えていたのです。
(*7)逢魔が時:https://tinyurl.com/2pzs9t6y
たった一日、朝に始まりと夕べに終わりを迎える恋の話。
あくまでも比喩的な表現ですけれど・・・。
かわたれ時(夜明け)を「彼はだれなの?」とときめく恋の始まり、たそがれ時(夕間暮れ)を「だれが彼なの?」かわからなくなってしまった恋の終わりのことを例えています。
黄昏エレジーは失恋の空虚さを慰撫してくれるカクテルの名前にしました。
蛇足ですが、出会いと別れの二つのセリフのネタをばらします。
出会いの言葉「世界の果てまで一緒に行こう」は、スイス出身でフランスに帰化した詩人、小説家、旅行家のブレーズ・サンドラール(*8)(Blaise Cendrars:1887年9月1日~1961年1月21日)の『世界の果てまで連れてって』(*9)という大好きな小説のタイトルをアレンジしたものです。
また、別れた後の言葉「世界の外ならどこへでも行こう」はフランスの詩人、評論家でフランス近代詩、象徴主義の創始者であるボードレール(*10)(Charles-Pierre Baudelaire:1821年4月9日 - 1867年8月31日)の散文詩集『パリの憂鬱』(*11)に収められている『この世の外ならどこへでも』(*12)からいただいたものです。
(*8) ブレーズ・サンドラール:https://tinyurl.com/s7pfvsvp
(*9)『世界の果てまで連れてって』:https://tinyurl.com/3e9z2f4x
(*10)ボードレール:https://tinyurl.com/4ecuphjc
(*11)『パリの憂鬱』:https://tinyurl.com/yc3rjftj
(*12)『この世の外ならどこへでも』:https://tinyurl.com/483h4xvs
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◆ところで『かわたれどき』は明け方、
それとも夕方?
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鎌倉の飲み屋街、通称『裏小町』に『ヒグラシ文庫』(*13)という古本屋兼立飲み屋で鎌倉の文化発信拠点を立ち上げ、もう鬼籍に入った長年の友人とかつて一献傾けながら、「かわたれどき」とは明け方か夕方かということをお話ししたことがありました。
(*13)ヒグラシ文庫:https://tinyurl.com/3sc6w7xh
私は「かわたれどき」は明け方で「たそがれどき」が夕方であると思っていたが、かれは「たそがれどき」を同じ意味だと言っていました。 断固譲らないので、それぞれ後で調べることにしました。 結果・・・。
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