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創作全般の覚え書き

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自分の、あるいは社会の創作の話題で反応してしまったことの覚え書き
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2018年10月の記事一覧

手作りという魔法は無い

私は、現代において「手で作る必然のあるもの」によって「いわゆる手工芸品」では到達出来ない創作性を「現出」させ、美をたたえているものを作りたいと思っています。 昔から、最上品はそうでした。 それは手作りだから良いとかそういうことは関係なく、良いのです。 昔の工芸品の素晴らしいものを、天然素材だから、手作りだから、苦労して作ったから、技術が素晴らしいからとか、そういう面で感動する人はいないと思います。 それは理由なく人々の心を打つものだから、飽きられることもなく長年ずっと

手作りでなければ出来ないことをやらないと

手仕事の染めと、機械の染めと、違いはいろいろありますが、 「意外なことに、手仕事の上手い仕事は、良く出来た機械製品に似る」 という事実があります。 例えば文様染の「精緻な手作り品」は、現代の良いプリントに、仕上げで少し手仕事によるブレをつくるだけで、見た目はほぼ「精緻な手作り品」と同じものが出来たりするのが、私たちのような手仕事屋には怖いのです。 手仕事には、不思議なところがあって「技術的に精緻なことを安定して出来るようになると、高度になるほど機械がやったみたいに平板

得意なことと、手慣れの危険

職人仕事において、例えば、とても細かい仕事が得意な人がいたとすると、その人にとっては、細かい仕事は苦ではないので、どんどん細かくしていきます。楽しいからです。 しかし、その手がけているものが必要な細かさを超えてしまうと、それは単にやり過ぎであって、モノを良くするために細かくする、手がけている作品が要求する細かさ、という必然から外れます。 そうなるとその細かさは「息苦しさ・ヌケの悪さ」になります。 そして、そのようなつくり手自身の楽しさ主導の制作姿勢では、その人の今までの

制作の苦労という麻薬

【大変な苦労をして、大変な技術を持って〇〇した作品】 というのが良くあります。 しかし、だからといって、その成果物の創作性も素晴らしいとは限りません。 * * * * * * * * * *  例えばそれが織物作家だとして、その人が織物に使う植物性の糸をつくるのに、繊維を取る植物を育てるところからやっています、製糸も全て天然のもので行い、手作業です、染めは天然染料の植物を育てるところからやっています、媒染に使う植物の灰も自家製です、などと言って心血注いでも、あらかじめ