辞めていったCさんへの手紙
今日はCさんに手紙を書こうと思う。
私が初めて知ったのはCさんの名前だった 。顔でも趣味でも好きな食べ物でもなく、名前だった 。なぜならCさんは、私が配属された時には既に休職中だったからだ。
全員が席に着いているのにC さんのデスクのところだけぽっかりと穴が空いたように なっていてとても目立った。Cさんのデスクのフィルムの下には几帳面な字で書かれた仕事のメモが挟まっていて、元気だった頃はきっととても丁寧な仕事をする人だったんだろうなと思った。
「あんな風に細かいメモ書いちゃってさ」
ある時上司がCさんのデスクを見て言った。
「何でも抱え込んで悩んで、 結局潰れちゃったんだよね」
「病気だったんだよね?」
「だって、うつ病でしょう」
全ては潰れてしまったCさんが悪い、でも私たちに責任はない、潰れなかった私たちはよくやっている、そういう雰囲気を感じた。
数ヶ月が経った頃、どうやらCさんが戻ってくるらしいという噂を聞いた。すると、それまで物置に使われていたCさんのデスクから物が取り払われて、急にタオルで拭かれたり、筆記用具が揃えられたりし始めた。
Cさんは戻ってきた。Cさんは物静かそうなおとなしい女性だった。病気の影響もあるのか、青白い顔をして、なんだか自信がなさそうで、今にも倒れてしまいそうに見えた。けれど私たちはみんな、ごく普通の一日が始まった時と同じように、特に何事もなかったようにやるのが一番の礼儀だと信じて振る舞った。
Cさんは毎日始業時間より 1時間遅く来て、終業時間より1時間早く帰っていった。ひたすらパソコンに向かい、誰とも話さず、時々お手洗いに立つ以外は身じろぎひとつしなかった。どんな作業をしているのかも全くわからなかった。
しばらく経つと、Cさんはわずかながらも笑顔を浮かべるようになった。仕事の幅も増えたようで、どこかへ電話を掛けたり、上司のところへ相談にいっている姿も見かけるようになった。私も何度か、休憩室でCさんと一緒にお弁当を食べたりした。
「Cさん、だいぶ良くなってきたよね」
上司たちが言っていた。それには私も同感だった。
Cさんはどんどん元気になっていった。私はそれを見て 嬉しかったが、日を追うごとに、もしかしたらCさんは無理をしているかもしれない と思うようになった。なぜなら、Cさんは少し興奮気味に見えたからだ。たぶん、自分の体調が戻ってきたことや、以前のように仕事ができるようになってきたことがとても嬉しかったのだと思う。
Cさんを誘って休日にテーマパークへ行こうという計画が持ち上がっていると聞いたのはちょうどその頃だった。私はこういう時に声を掛けられるような器用な社員ではなかったので誘われることはなかったけれども、かつてCさんについて「潰れた」と噂していたような上司たちが中心メンバーであることについて、他人事ながら危機感を持っていた。元気になったように見えるからといってあんな風に休みの日までCさんを誘い出したりなんかして本当に大丈夫だろうか…楽しそうに計画を立てている上司たちと、仕事量が増えるに連れ色々な注文をつけられ焦っているCさんを見比べて、私はぼんやり不安にとらわれていた。
しばらくして、残念ながらその不安は的中してしまった。Cさんは次第に出勤できなくなっていった。有休が1日増え、2日増え、しまいには出勤できませんという連絡すら来なくなってしまった。
「休むなら休むと連絡くらいしてもらわなきゃ困るじゃないか」
部長が電話の向こうのCさんを叱責しているのが聞こえてきた。Cさんは職場に電話できないくらい体調が悪いのだと私は思った。もう有休も底をつくらしいと誰かが噂していた。
ある日突然、職場にCさんが現れた。その姿を見ると部長が席を立ってCさんと一緒に出て行き、戻ってこなかった。翌朝出勤してみると、Cさんの机からはファイルや筆記用具や私物などがきれいさっぱり無くなっていた。そして全員のデスクの上に品のいい焼き菓子がぽつんと置かれていた。
ずっと仕事を休んで、また復職してなんとか働き続けようと頑張ったけれど、再び体調を崩して去っていったCさん。でも最後に見掛けた彼女の表情は、これまでに見た彼女の表情とはどれも違って、どこか晴れやかだったように感じられた。
正直に告白しよう。私はCさんのことを「好ましくない社員」だと思っていた。誰にも頼れず、辛いことも辛いと言えず、仕事で潰れてキャリアをふいにした反面教師だと。Cさんみたいにはなるまいと。でも今度は私自身が、きっと、抱え込んで悩んで潰れたと噂され、デスクを物置きにされている。
『Cさん、あの時のこと許してください。あの時のあなたは私です。きっとあなたにも、こういう辛い時間、溢れる涙があったことでしょう。今ならもう少しうまく話せる気がします。』
これが、たったそれだけのCさんへの手紙。
🍩食べたい‼️