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短歌と俳句から距離を置く
当面、短歌と俳句からは距離を置こうと思う。
歌集や句集を読んだり、少し作ってみたりすることはあるかもしれないが、作品の発表は取り止める。
少なくとも2020年の年内は。
Twitterのほうも活動休止を掲げてきた。
参加表明をさせていただいたイベントもあり本当に申し訳ないが、今の状態では素直に創作活動と向き合えない。
別のことを思いきりやりたい。
良い機会になるかもしれないし。
創作活動について家族に明かしたことを後悔している。
家族と同じ短歌、俳句という表現方法を採ったことも今では足枷だ。
同じジャンルにいるのが苦しい。
家族から、活動を見ていると示唆されたこと、今後の創作活動方針について自分でも悩んでいる課題を先輩風を吹かせながら指摘されたこと。
気にしていないつもりだったが、時間がたつにつれボディーブローのように効いてきた。
お手洗いの中に着いてこられているかのような居心地の悪さを感じる。
あなたのおむつを替えたのは私よ、が、今も延々と続いているような気がするのだ。
小さい頃から変な癖がある。
わざと意に反することをして自分で自分を哀れみ悲しみに浸ってしまう。
本当は地域のお祭りに行きたいのに「行きたくない」と駄々をこね、連れて行ってくれるはずだった周囲を怒らせて取り返しのつかない状況に自らを追い込んでから「あーあ、本当は行きたかったのになあ」と落ち込んで悲しみの痛みにうちひしがれる。
本当は●●がしてみたいのに、家族から「あなたは✕✕がしたいって言っていたじゃないの」と言い聞かせられ、自暴自棄になって、●●をやめ✕✕に走った結果、大失敗して戻ってくる。
今でも私はこの子供なんだろうか。
自分で自分の行く手を阻んでおいて家族のせいにしているだけの子供なんだろうか。
決して初めてではない感覚。
また失敗だろうか。
例え当て付けであったとしても、今はこうでもしないと破裂してしまいそうだ。
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