自由に表現している自分を家族に見られるのが嫌なのかもしれない
家族にSNSを見られていることについて、昨日からずっと悩んでいる。
Twitterは、数日留守にすると宣言してログアウトした。
本当はnoteも同じようなものなのだけれど、Twitterに比べれば少し気持ちが落ち着く場所なので、まあ良いだろう。
noteまでビクビクする場所になってしまったらもうおしまいだ。
町を歩いていると、相変わらず「この一瞬は作品にしたい」という閃きがあるのだが、流れ去るままになっている。
勿体ないけれど、今はあまり短歌や俳句に近付きたくない。
★公開後追記。近付きたくないというよりは、作ったものを誰かにみてもらいたいという気持ちより、作ってもしばらく寝かせておきたいという気持ちが上回っていると言った方が適切かもしれない。
あてつけのような気がしなくもないが。
本当は今週中に本の通販の準備もしたかったが、もう少し気持ちが落ち着かないと無理だろう。
悩んだだけあって、少し気付いたこともあった。
創作にせよ感情にせよ、私は自由に表現している自分を家族に見られるのが嫌なのではないか。
実家には、本当に思っていることは簡単に言えない、言わない空気が流れている。
数十年後に本意が打ち明けられて喧嘩になったり、大いに時間を無駄にしていたことが判明したりするケースが多いのだ。
そのせいか、連れ合いと交際していた頃は、しばしば「無表情で何を考えているのかよくわからない」と指摘された。今も「困っている時に黙る癖がある」と言われる。
加えて、自由が家族に逆らうことと同義になってしまっているのではないか。
家族からSNSを見ていると明かされたことによる不快感は、親の理想像としての良い子から外れた自分を見られる不快感なのかもしれない。
すなわち、仕事をやめようが髪の毛をブリーチしようが、結局私はまだまだ良い子でいたいのである。
どこかに出口はないものか。
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