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Martin Luther King / キング牧師

Pearson English Graded Readers の Level 3 / Martin Luther King。

キング牧師に関しては、恥ずかしながら黒人差別に反対し平等な世界の実現のため人々に働きかけた人物という程度の知識しか持っていませんでした。
はじめにこの本を手にしたとき、気軽に読むことのできない難しい部分もあるだろうなと思いましたが、まだ英語レベルが低くてもこれほど夢中になって読み進めることができたのは、何より彼に魅力があり、熱い想いや言葉が文面から伝わるからなのはもちろん、この本の構成や、著しかたが素晴らしいからなんだろうなと感じました。

White people たちによる Black people たちへの差別がどのようなものだったのか具体的に記されていますが、それは恐ろしく非人道的で、大変残酷でひどいものでした。同じ人間としての正しい行いや訴えをことごとく封じ込められ、あまりにも理不尽な扱いを受け続けた。それは南部の州の、警官までをも含む人たちの行為でした。

しかし当時の大統領アイゼンハワーの態度も冷たいものでした。そこに John F. Kennedy があらわれます。ケネディが大統領就任される前から彼と協力し合っていたこと、そのケネディが僅差で大統領就任することができた理由、そしてもしそのときケネディが就任することができなかったら?などなど、ケネディ大統領がここまで彼に協力的だったことも初めて知ったのでいろいろと考えさせられました。

彼の訴えはなかなか White people たちに届かなかったどころか、犯罪者として何度も何度も、計十数回も投獄されても彼は決して諦めませんでした。

はじめは小規模だった彼の平等な権利を求める活動は、南部アラバマ州から始まりやがて首都ワシントンにまで及んだとき、賛同し、共に行動する人々が 20 万人を超える規模となり、そのときに White people たちが彼の活動に初めて参加しましたが、その割合がなんとその 1/4 ほどの人数にもなったことに驚き感動しました。正しい訴えがようやく多くの White people たちにも広がり賛同を得られたんだなと。何が正しいことなのかを考えればそれは当たり前のことですが、彼が決して諦めずに続けてきた活動によるものだったんだなと思いました。

しかしまさかその3ヶ月後にそのケネディ大統領が暗殺されたなんて。あの暗殺事件は、なんとそのワシントンでの活動の直後でした。その頃のケネディ大統領と彼との関係、大統領就任前から彼に協力されてこられたことを想うと、いたたまれない気持ちになります。そしてまた、なぜアメリカ国民にこれほど愛され、それは今も変わらず愛されている大統領なのかということを、これでほんの少しだけですが理解することができました。

彼のノーベル平和賞受賞後にも、残念ながらまだまだ White people たちによる差別はおさまらず、ケネディ大統領の後継のジョンソン大統領にまで賛同を得られず、彼の闘いは続きました。
やがて Black people たちも仕事やまともな家がなくあまりの貧しさに耐えかねて、暴動を起こすようになります。暴力行為に反対していた彼は、暴動を起こすようになった彼らの気持ちが分かるので、苦しみます。

当時からまだたったの 60 年ほどしか経っていません。
もし彼が今もこの世に生きていたら、世界のあちこちで争いが絶えない現状を見て何を思うでしょうか。

現代では、人種差別はもちろん御法度です。しかしながらそれは表向きであって、実情ではまだ差別が根深く残っているところもあり、White people による Black people に関するそのような報道を目にすると胸が痛みます。

それは Black people たちだけではなくわたしたち yellow people にも差別が存在するようです。たとえば以前試聴していた米国のあるドラマでは、White people と等しく出演されていたキャストたちの間で支払われる報酬に、人種によって差があったようで、そのことがその yellow people たちが出演を辞退することになってしまった理由だったとの記事を目にしたことがあります。真偽のほどは分かりませんが、火のないところに煙は立たないだろうと感じます。そのような考え方をされるのは、White people たちの一部の人たちだけだろうと信じたいですが、彼らが表には出さない心の奥底で持っている気持ちはどのようなものでしょうか。

差別といえば障害を持つ人々にも当てはまります。
最近のできごとでは、パリパラリンピックを思い出しますが、大きく疑問を感じたのはパリオリンピックに比べてパリパラリンピックの放送がなぜこれほど、信じられないほど少なかったのか?ということです。少ないというか、ほとんど目にすることができませんでした。パラリンピックの選手たちの活躍を知ったのはニュースの中でのほんの短い時間だけ。東京パラリンピックとは大違いだったことにもまた疑問です。3 年前にオリンピックの開催地となったことで見直されることを期待しましたが、変わらなかったことにとても残念に思いました。わたしはこのことに関して大きな憤りを感じます。これもまた差別だと思います。

色が異なることやからだに障害を持っているだけでなぜ人々の心に差別が生まれるのか。
やはりそれは、気持ちを理解しようとすることはできますが、実際にその同じ立場にならなければ永遠に理解することはできないからだと思います。人がこの世に生まれた後は、人種が変わることはありません。障害も、いざ自分がその障害を持たなければ、決して彼らの気持ちは分からない。そこが根本として原因となっているように思います。

この本を読んで学んだ言葉のひとつに、demonstration がありました。
実演販売するときに使われるデモンストレーションの言葉ですが、その意味以外に、デモ行進の意味をも持つことを初めて知りました。

demonstration  [ noun ]
/ˌdemənˈstreɪʃn/ /ˌdemənˈstreɪʃn/

1. (also informal demo especially in British English)
a public meeting or a march (= an organized walk by many people) at which people show that they are protesting against or supporting somebody/something
人々が誰か/何かに抗議したり支持したりしていることを示す、公開集会または行進。

2. (also informal demo)
an act of showing or explaining how something works or is done
何かがどのように機能するか、または行われるかを示したり説明したりする行為。

Oxford Advanced Learner's Dictionary
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