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「ゲームの思い出」約50年分を振り返り自己紹介に …その1
#自己紹介 の記事を書き、先日プロフィールとして投稿したのですが、ただの自己紹介にスキをしてくれるユーザーさんがけっこういるもんなんだなあと思っていました。
よく考えたら、自己紹介っていうのは「はじめまして」の側面があって、それはnote初心者の可能性が高いわけだから(ベテランさんがずっと経ってから自己紹介するケースもあるみたい)、きっとそれを応援してくれる意味合いの強いスキなのだろうと理解しました。
そしてだんだん、ほかのユーザーさんの自己紹介を読みたくなることが増えました。この記事を書いたひとはどんなひとなんだろう?と知りたくなるのです。
そこでいろんなひとの自己紹介を拝見するうち、 #自己紹介をゲームで語る というハッシュタグを見つけました。
あ、なんかおもしろそう!ということで #自己紹介をゲームで語る を始めたいと思います。
昭和49年(1974年)生まれが幼少期にしたゲーム
家庭でできるTVゲーム機なんてありません。大ブームを巻き起こしたあのスペースインベーダーが1978年だそうですから、私はその時4歳ですが、当時はゲームセンターです。
周りの大人たちの認識ではゲームセンターは不良の溜まり場であって、子どもは行ってはいけない場所でしたから行くこともありません。
ボードゲーム系が主流
その頃のゲームと言ったら、家でするもので記憶にあるのは
オセロ
トランプ
五目並べ
マルバツゲーム
はさみ将棋
おはじき
市販のボードゲームいろいろ
私は小学生の時に両親が離婚していて、母子家庭育ちなのですが、父は当時日曜日しか休みがないのによく子どもと遊んでくれるひとでした。だからたいていのゲームは父が教えてくれました。
花札や麻雀も教えようとして、母がギャンブルっぽいのはやめてよ、と言っていたのを覚えています。ドンジャラなんてものもありましたね。
友達と外で遊んだゲーム
外で友達としたゲームだと、
だるまさんがころんだ
高鬼、色鬼など鬼ごっこ
あぶく立った煮え立った
かごめかごめ
通りゃんせ
はないちもんめ
石けり
グリコ(私たちの場合:グリコのおまけ・チヨコレイト・パイナツプル)
思い出すと懐かしいw
5歳まで東京、その後結婚するまでは千葉ですが、まだまだ周りには遊べる場所がたくさんあって、第2次ベビーブーム最後の年の生まれなので、近所に子どもがたくさんいたわけですよ。
昔は小さい子でも、親の付き添いなく年の違う子たちと混ざって遊んでいました。誰かがケガすると近くのおばさんに助けてもらったりしてねw
小学生の頃にしたゲーム
小学校にあがって、今のいわゆるゲームのはしりのようなものが子どもたちの遊びに登場します。
ゲームウォッチの登場
任天堂のHPによると、発売は1980年。
「ゲーム&ウオッチ」は1980年に発売された任天堂初の携帯型液晶ゲーム機です。
となると私は6歳ですが、周りで流行ったのは2年生の時だったと記憶しています。衝撃だったんですよね、今までにないゲームで。ゲームウォッチを持っている子は自慢気でした。
画面はモノクロだし、単純な動きなのにみんな夢中でした。私が好きだったのは「ヘルメット」です。
そしてとうとう、ドンキーコングとマリオの誕生です。このキャラクターがここまで長く愛されるキャラになるとは。
ファミコンとスーパーマリオブラザーズ
1983年、ファミコン誕生。1985年、スーパーマリオブラザーズ発売。
もうこれは本当にすごかった。持っている子の家に大集合でした。おうちのひとに迷惑かけちゃってたよなあ……。
そして今も変わらず人気で映画も大ヒットですもんね、すごい!
これに関しては、noteのゆづお/平凡サラリーマンライターさんの記事がドンピシャで、わかるわかると笑いながら読ませていただきました。
スーパーマリオが出たことで、それまでファミコンが無かった我が家にファミコンを迎えるべく、弟とふたり協力して母を説得した日々を思い出します。
ほかにもファミコンゲームソフトで好きだったのは
ロードランナー
アイスクライマー
シティコネクション
ドラゴンクエスト発売
1986年、ドラゴンクエストが発売されました。
すぎやまこういちさんの楽曲が衝撃的で、いつまでも残りました。週刊少年ジャンプ愛読者の私にはおなじみの、鳥山明さんの描くキャラクターたちは魅力的でした。「かわいい怖くないモンスター」と依頼されたらしいですね。
でも私は、ⅠとⅡはやってないんですよ。
私と弟には、ファミコンソフトはとても高い買い物で、そうそう買えなかったし、昔の母は、子どもたちが長時間ゲームに熱中するのを快く思ってなかったので。
TVゲーム以外で
小学校の時、友達の間で流行っていたゲームはほかにもありました。
ハンカチ落とし
ゴム段
スピード(トランプ)
ゲームブック
ハンカチ落としは芝居上手が勝ちますね。わかりますか?ハンカチ落とし。みんなが円になって座って、その周りをハンカチを持った鬼が周りながら、こっそり誰かの背後にハンカチを落とします。落とされた人は、気付いたらハンカチを拾って鬼を追いかけます。鬼がつかまることなく落とした地点まで戻れたら鬼の勝ち。けっこう盛り上がりました。
ゴム段は、主に女の子の間で流行って、ふたりが向かい合って立ち、大きく輪にしたゴムをお互いの足首にかけます。で、膝、腿、腰、とかける位置がだんだん上がっていくのですが、各段にそのゴムを使って決まった跳び方があって、クリアしないと次の段に行けません。
実はその頃、転校した私は転校先で馴染めず、靴を隠されたり文房具を盗まれたり、つらい思いをしていました。担任の先生もたいしたことをしてくれず、最後まで犯人もわからないままでした。前の小学校では積極的だったのに引っ込み思案になり、仲間外れにされたりするのに学級委員みたいな仕事は押し付けられていました。
そんな私をゴム段に誘ってくれた女の子たちがいて、それがどれだけ嬉しかったか。あの子たちは今どうしてるのかなあ。
トランプのスピードは、休み時間のたび、教室のあちこちでプレイされていました。割と真剣勝負でしたね。
ゲームブックは学級文庫にあって、すごくはまりました。読んでいくと選択肢が出てきて、選択した方に書いてあるページに飛ぶんですね。それで選択肢によってエンディングが変わります。
あまりにはまって、中学から高校にかけて、ゲームブックを2冊自作しましたよw
1冊目は、どうやってもクリアできないルートができてしまって。でも2冊目は、殺人事件もので結構うまくできた気がしていて、捨てられず今も実家にあります。
中学生の頃にしたゲーム
ディスクシステムという存在
ファミコン本体とつなげて使う、ディスクシステムというものがありました。フロッピーディスクのようなものにゲームが書き込まれていて、そのゲームに飽きると、たしか500円で別のゲームに書き換えられたのです。
当時は画期的だったし、今も人気のゼルダシリーズ1作目「ゼルダの伝説」は、1986年に発売された、このディスクシステムのゲームソフトでした。
ふぁみこんむかし話 新・鬼ヶ島
1987年に発売された、ディスクシステムのゲームソフト「ふぁみこんむかし話 新・鬼ヶ島」は、前後編に分かれて2枚のディスクになっていました。
これがね、おもしろかったんですよ!
桃太郎とかぐや姫を中心に、金太郎、したきりすずめ、かちかち山などの昔話をベースにしたシーンが、とんでもなく脚色されごちゃまぜになって出てくるんですけど、小ネタが満載で笑えるし。
最初はほのぼの始まるのですが、次第にしっかり冒険ものになっていき、桃太郎モデルの男の子主人公と、かぐや姫モデルの女の子主人公をうまく切り替えて操作したりして進めていきます。
ラストはちょっと感動するし、音楽もよかったです。
後に、Wiiのバーチャルコンソールとして出たので、30歳差のある我が子たちとプレイしました。感動です。
探偵・神宮寺三郎シリーズ
ディスクシステムのゲームで、「新宿中央公園殺人事件」というものがありました。これは探偵・神宮寺三郎が主人公の人気シリーズ1作目でした。
私は1988年にファミコンで発売された、探偵神宮寺三郎シリーズ2作目「横浜港連続殺人事件」からプレイしたのですが、銃声で始まるオープニングのかっこよさに惚れ込んで、大好きになったゲームです。
すごくハードボイルドなんですよね。絵も音楽もストーリーも大人で。神宮寺三郎は渋くてかっこいいし、相棒の洋子は色っぽくて知的な女性で。
でも、年齢設定が神宮寺は29歳、洋子は23歳。私がその年になった時でもあの大人感は全く出せなかったけど。50歳近い今もねw
その後、3作目「危険な二人」がまたディスクシステムのゲームとして出て、4作目「時の過ぎゆくままに…」がまたもどってファミコンで出ました。
ジュリーの歌のタイトルですよね…ってジュリーってわかるかしら?沢田研二さんね?
5作目「未完のルポ」がプレステとセガサターンで出て、持っていなかった私はプレイできず。結婚後に夫が持っていたセガサターンでプレイしましたが、私はここまでしかやっていないのです。謎がまだ残ったままの状態なのですが、ゲーム機が変わってくるとそのたび買うのはちょっとねえ…。
ドラクエⅢとⅣ
ドラクエの初プレイはⅢからです。
Ⅲは職業というものが登場し、「そして伝説へ…」のタイトル通り、ロトに関係する物語です。
そしてドラクエⅣ。
Ⅳ、すごく好きなんです。
最初が主人公の物語じゃないっていうね。
第1章は戦士ライアンの物語って、なんかおじさんじゃん…って思った記憶が。でも、進めるにしたがってライアンがどんどん好きになるって寸法で。
それからホイミンですよ!
ドラクエ史上、初めて仲間にするモンスターです。
人間になりたがっているモンスターのホイミンに出会って、ライアンが仲間にすると、ちゃんと回復魔法で役立ってくれるしなによりかわいい。後にちゃんと人間になっていました。
第2章はおてんば姫のアリーナとクリフトとブライ。
格闘家・僧侶(神官)・魔法使いという理想的なパーティです。
神官のクリフトはアリーナ姫が好き。ブライは姫のお目付け役的なおじいさん。ハチャメチャなアリーナとの物語がおもしろかったです。
第3章は武器商人トルネコ。太ったお父さん。出来のいい奥さんと息子に支えられ、自分の店を大きくするべく旅に出るのだけど、なんだかんだ大活躍する。意外と強いし、独特の面白い技も持っていて、愛すべきおじさんキャラです。後にトルネコ主人公のゲームがいくつか出るくらい。「トルネコの大冒険」が好きでした。
第4章は踊り子マーニャと占い師ミネアの姉妹の物語。
対照的な性格の姉妹で、使える魔法も対照的。父の敵討ちのために旅に出ます。途中、父の弟子オーリンと合流し、ラスト姉妹を守るため犠牲になります。
ドラクエシリーズはけっこうキャラが誰かを守るために犠牲になることがあり、そのたび弟とふたりで涙したのですが、たしかオーリン、瀕死の状態だっただけで生きていたはず。よかったよかった。
そして第5章、主人公勇者の出番です。
各章で育てながら一緒に旅したキャラたちのその後が気になりながらプレイするのですが、まず姉妹と合流、4章・3章・2章と新しい方からキャラたちが仲間になっていきます。
そしてライアンの足取りを追っていくことになり、ライアンと合流!
この経緯がなんか感動したんですよねえ。懐かしいな。Ⅳをプレイしたことで、私はドラクエファンになりました。
友達としたゲーム
大富豪(トランプ・大貧民と呼ばれる地域も?)
UNO
ボウリング
中2になる時にまた転校した私は、こんどは馴染めて、仲良くなった友達もいたし、先生の説得が断り切れず生徒会副会長になり、学校行事のいろいろをする中で、帰宅部なのにクラスを超えて友達ができました。
あれ?5000字近くなったな
ゲームの思い出を書き連ねたら長くなってしまったので、いったんここで終わりにします。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
私のゲームの思い出は、2歳下の弟との思い出でもあります。
高校生からはまた別の記事で振り返りたいと思います。
↓その2
↓その3
↓その4
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