食べることが大好き
おいしいこと以前に食べることがたのしい。
食べられることは幸せだ。ダイエットが必要でも食べることはできるだけ減らしたくないので、別の手で悪あがきをする日々である。
でも小さい頃は食べることが苦手だった
食べるのがとにかく遅かったので、幼稚園のお弁当の時間ではいつも最後まで食べ終わらず、お友達はみんな先に遊びに行っていた。しかも幼稚園の決まりで、食べ終わった子は机をきれいにして椅子を机の上にふせて上げることになっていたから、私の周りは足が上を向いて逆さになった椅子が囲んでいた。なんだか牢屋の鉄格子のようで子どもながらにみじめだった。
小学校に入ってからも、給食の時間が苦痛だった。減らすのもいけない、残すのもいけない、とにかく割り当てられた分の給食は必ず完食させるという教育方針だった。当然私は最後まで食べ終わらない。しかもクラスのみんなはそろってごちそうさまが決まりである。私が食べ終わらないとクラスみんなが昼休みにならず、ひたすら座って食べ終わるのを待たなければいけない。少食で食べるのが遅い私は、全員に待たせるつらさと、食べきれないつらさで、ついにある日耐え切れずに泣き出し、食べてはむせて吐いたりしたが先生に許してもらえなかった。見かねたしっかり者の友達が私の背中をさすってくれたっけ。もう40年近く前の話である。今の小学校でこんなことをする先生がいたら大問題になるのではないだろうか?
そして3年生の時、救世主が現れる
3年生の時の担任の先生は、メガネをかけたちょっとだらしない風貌で、書く字も汚くて、保護者の間ではあまり評判のよくない先生だった。その先生が給食の時に言ったのだ。
「ちょっと量が多いなあと思う子は、食べる前に減らすこと。でも嫌いだから食べないって言うのは無しだぞ?必ずどのメニューもひとくちは頑張って食べること!それからこれじゃあ足りないなあと思う子は、余りの給食をおかわりしてもよし。ただしほかにも欲しいって言う子がいた場合は分け合うこと。分け合えないものはじゃんけんだからなぁ?わかった?」
衝撃だった!!
いいの?減らしていいの?食べられる量にしていいの?ボサボサの髪で、くたびれたジャージにサンダルをつっかけたその先生が輝いて見えた。
食べ物を粗末にしてはいけない
今、山となって捨てられる賞味期限切れの食べ物や売れ残り、各家庭の残飯の話を聞けば胸が痛む。一生懸命作ってくれた生産者さんたちを思うといたたまれない。このほんのちょっとが食べられずに餓死していくひとが、世界にはたくさんいると思うとさらに考えてしまう。
でもあの頃の学校の教育方針には今も納得していない。成長には不可欠な栄養を、計算通りに残さず食べさせる、粗末にさせない、残すのは悪いことだと教える。それはいいが、個人差も何もあったものじゃない。私にとっては苦痛でしかなく、食べることもおいしいこともちっともたのしくなかった。
確かに戦中戦後を経験してきたベテランの教師陣にとっては、食べるものがあることがありがたく、食べ切れないなどという子は論外だったのかもしれない。食べることはたのしいことではなく、食べることは生きることで、食べることが生死に直結していたのだろう。
いろいろな味を味わうことはたのしい
私にとっての食べることがつらかった時代は終わった。
大きくなるにつれ食べられる量も増え、高校生になって運動部に入った私はきつい練習ですぐお腹がすくようになり、1日5食食べても太ることなく毎日を過ごすようになる。その上、小さい頃に苦手だったナスやピーマンもおいしいと思えるようになり、いわゆる「大人の味」にも目覚め、いろいろな味を楽しめるようになった。「食べる」ことに余裕をもって臨むことができるようになったので、かみしめて味わうのがたのしい。
残念ながらアレルギーで食べられない食品があるのだが、それ以外は嫌いなものはほぼない。たくさん食べたいというよりいろいろなものが食べたいのだ。いろいろな味のおいしいはたのしい。同じ食材でも、料理のしかたや組み合わせ、味付けでまた違ったおいしいになる。違ったたのしいである。
#おいしいはたのしい
二人の子の母となった私は、それぞれの誕生日には当人の好きなメニューを作る。
夫は何歳になっても誕生日はカレーだ。
娘は薄味が好みで、かぼちゃをこよなく愛している。
つい最近誕生日だった息子のリクエストは「唐揚げ祭り」だった。1.5kgのお肉をひたすら揚げた。サラダとわかめスープを添えて、そしてケーキはいつもより大きめ。多いなあと言いながら各自のペースでたのしく食べる。
この大きさのケーキを唐揚げの後にたいらげるのは無理だよね、8等分してひと切れ食べて、もうひと切れは明日にしよう、と言って8等分したのに、結局4人ともふた切れ食べてしまった。だっておいしかったのだ。
食べ過ぎた次の日、1ヵ月の運動で落とした体重がたった一晩でもどっていた。
でもいいのだ、息子の誕生日をおいしく食べてたのしんだ。
なのである。また運動するだけなのだ。
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