おうちごはん~second season~No6
毎朝、一緒に小学校に通っていた大親友のゆかりちゃん。
何をするにも一緒。大好きなマンガの貸し借りもしていたし、お互いのママも仲良しでおうちに遊びに行ったり、お泊まりもしていた。
毎日、毎日、ゆかりちゃんとの時間が楽しくて、一生この楽しさが続くのが当たり前だと思っていた。
ある朝、ゆかりちゃんのおうちにお迎えに行った。
「ゆかりちゃん、おはよ。学校に行こう」
いつもはゆかりちゃんが出てくる、ゆかりちゃんの家のとびら。
顔を出したのはゆかりちゃんのママだった。
「ごめんね。きょう、ゆかりはおやすみするって」
「昨日、元気だったのに。ゆかりちゃん、どうしたの?」
「うーん、ちょっと具合悪いみたい」
その日はゆかりちゃんがいなくて、いちにちが闇のように重く、つまらなかった。でも、明日はまたゆかりちゃんに会える。きょうはこの世の終わりのように悲しくてつらいけど、それはきょういちにちだけ。そう思ってた。
「きょうはゆかりちゃんと何して遊ぼうかな」
次の朝、スキップしながらお迎えに行くと、またママが顔を出した。
「ごめんね。きょうもゆかりはおやすみするって」
次の日も、その次の日もゆかりちゃんを迎えに行ったけど、ゆかりちゃんは一度も顔を出さなかった。どうして顔を出してくれないんだろう? そんなに具合が悪いの? それともわたしに会いたくないのかな? なんの連絡もくれないし。最後に一緒に遊んだあの日。いつもと変わらず、キャアキャア楽しく遊んだのに。え? あれ? あのとき、ゆかりちゃん、何か言いたそうだった?
何か言いたそうだったゆかりちゃんの顔がうっすら頭に浮かんだけど、ハッキリと思い出せない。
そして、1週間、2週間・・・1か月。
「行ってきまーす」と家を出る。
ゆかりちゃんを迎えにいくのをいつの間にかやめていた。だって、迎えに行っても来ないし。でも、ずっとずっと心のすみっこにゆかりちゃんの存在があって、ときどきチクチクする。このままでいいのかな、って。
ゆかりちゃんは架空の人物。
というか、人ではなく「からだの痛み」。
これは、わたしとわたしのからだの痛みの物語。
大学生のころから、激しい腰痛を患っていたわたしは、いつもゆかりちゃんを気にかけつつ、「いない人」として扱っていました。でも、ゆかりちゃんは「痛み」。忘れることはできないし、モヤモヤしたまま生きるのはせつない。とはいえ、相当長い間、モヤモヤで生きてましたけど。
豆乳味噌雑炊(冷やご飯ではなく、お米から作りました)。
豆彦のがんもどき。
キャベツのゆかり和え。
キャベツのゆかり和えのおかげで「ゆかりちゃん」のことを書きました。
痛みって見えないし、ふとした瞬間、なかったことのように思う。でも、それは自分がフタをしているだけ。痛みに慣れて鈍感になり、気がつくことに疎い自分になっていたのを思い出したのでした。