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工藤雪枝の私見ー2020年ノーベル経済学賞受賞「オークション理論」について(上記写真は米国にてMIT経済学教授レスター・サロー氏をインタビューした際)

今年のノーベル賞も出揃い、最後にいつも決められるノーベル経済学賞は意外にも「オークション理論」研究者、スタンフォード大学のポール・ミルグロムとロバート・ウィルソンが受賞した。

二人ともかつての数学と経済学の天才的存在、ナッシュ理論をベースにしているというので、私のように、LSE(London School of Economics ) にて経済学修士号を優等なる成績(シカゴ大ビジネススクールに教員として来てくれないかとのオファーもあるも断る)にて獲得した者において一体なんの価値があるのかと疑問を感じていた。

ロンドン在住中にはクリスティーズやサザビーズからもオークション前のプレビューイングに招待されていたような華かやな過去もある私である。

皆、マスメディアや経済学を学んだことなき方々に限って、権威に弱いのか「オークション理論」を絶賛されておられる。皆さん、原典やそもそもナッシュ理論からの一連の流れ、またオークション理論など最初はロサンゼルス五輪が民間で行われた1984年頃の代物だと認識している私において、一体なんの価値があるのかと思いつつ、かなり多くの原典を英語にて読んだ。

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(上記写真は、米国の経済学者で、Department of the Treasury長官、ピーターソン国際経済研究所所長を歴任したフレッド・バーグステインを米国にてインタビューした後の写真)

そもそも私が経済学(含むマーケティング、金融、経済理論など)修士号を得たLSEでの最初の前提は、ノーベル賞受賞者たるマートン・ショールズ・ブラックなどの論文(偏微分を超える高等数学証明式だらけ)を理解しているレベル。これは米国のビジネススクール(経営学)でも教えないレベルである。実際に、当時の我が配偶者であり、慶應義塾大学経済学部にてトップの成績で経済エリート官僚として当時の通産省、今の経産省のキャリア官僚であった彼さえ、私と同じLSEの修士号コースには語学理由ではない状況で入学できなかった高レベルなのである。

従来のケインズ経済学、また私が東大法学部卒とはいえ、駒場時代に履修していた近代経済学などの理論は、全ての消費者、いな、全ての人々が全く同じ経済活動を行うことを前提としている。そんなこと実際にはあり得る訳はない。また近代経済学の欠点は、私において米国への高校留学(AFSー1年間)の際に数学リーグ(ハーバードなどのアイビーリーグに入学する連中が選ばれて個人戦を行うのであるが、私は強引に入部させられた)のリーグ戦を終えて、全ニューヨーク州だったか、或いは全米だったかで個人で一位だつたほどの数学オタクなる私において、私見で主観的ではあるが、近代経済学の弱点はその証明に偏微分数学を使っている点にあると思っている。

そもそもLSEの修士号、日本人が我が修士号コースには3人いたが一年で修士号をとれたのは私だけ。その後、不合格となった二人がどうなったのかは未だに知らない。かつ全体の学生の中でも修士号獲得から落とされる割合はフランスのグランゼコール出身者などがゴロゴロいるのにおよそ半分が修士号を拒否される。英国人はそもそも米国同様微積分さえ数学的にはおぼつかないのでほぼ皆無。当時は、やはり数理学を専門とするフランスのエコールポリテクニークの我が友人のフランス人なんかがいい成績を納めていた記憶がある、それぐらい、文章より高等数学づけの証明につく証明の日々なのである。

因みに、私はこれも日本の某地上波テレビ局が竹中平蔵氏を「講師」として招いて経済理論勉強会を開いた時に私も出席したことがある。いやはや、権威に弱いマスメディアの方々は喜んで頷いておられたが、私は竹中氏が次から次に書く、(確か竹中平蔵氏は経営学が専門で経済学ではないはず)数式が、全く頓珍漢なる意味不明の産物であれはケインズ派でもなく、近代経済学でもなく、もちろんマルクス経済学でもなき、一体何これ?という代物であり、皆テレビ局の方々全く理解していないはずなのに笑みと共にうなづいている中、私は一人内心怒り心頭に達していたのである。あの数式が一体なんの意味があるのかというレベルの酷さだったからである。

そもそも大手地上波テレビに経済がわかる方がどれぐらいおられるのだろうか?その竹中事件と同じ頃、私において、「リチャード・ブランソンのインタビュー、交渉してアポ取れました!」と竹中氏を招いた同じテレビ局の経済部長にお伝えしたところ、当該部長曰く「ブランソン?チャーマーズ・ブランソンって俳優でなかったっけ?」と私が驚きのあまり気絶しそうになるようなぶっ飛んだコメントを真剣におっしゃられた方のことも今思い出す。その頃は既にブランソン氏においてヴァージングループの会長として世界に名だたる存在であったのに、リチャード・ブランソンという名前を知らない経済部長がいるような当該地上波において、竹中平蔵氏のあの変てこりんな記号まで出てくる「竹中経済学」とでもいうべき、私一人が怒りを噛み締めていたあの時間に、他のニコニコうなづいている方々が、何を理解できたであろうか?全くもってやりきれないことといったら!

それで私が学んでいたレベルというのはそのようなケインズでもマルクスでも、またケインズ経済学を発展させた近代経済学でも現実的かつ理論的不完全性を持つ経済理論と金融理論により、それを具体的に価値のある現実的適合性と有効性を学ぶといった感のある授業であったと思う。故に使う数学は微積分や偏微分を遥かに超える高等数学である。

留学する際にオックスフォード、及びケンブリッジ大の大学院で経済を学ぶことも検討したが、まずシラバスを取り寄せてみると、やはり微積分さえおぼつかない英国人において、経済の修士号コースにてもローマ、ギリシャの経済から現代経済までの変遷といった、「歴史物語」ばかりである。

また、さらに、両大学(英国の学部は4年でなく、3年間)については学部の卒業生は、ある一定の期間、犯罪歴がなかりせば全員が修士号を何も特別に学習しなくとも与えられる。そんな観点においても、経済学のレベルの高さにおいても私がLSEの修士号を選んだのである。もちろん、オックスフォードやケンブリッジよりも経済を知る人々の間では遥かに権威も高いのであるし。

そんな私において今年のノーベル経済学賞が「オークション理論」に決まったと知って、なんとも違和感というか、80年代の焼き直しというか、まだナッシュ理論のほうが価値があるけれど、あれからもう40年経つのにという違和感が捨てられなかったので、ここ数日数々の原点というか英語でオリジナルに今年のノーベル経済学賞受賞者が書いた論文「オークション理論」を読んでみた。

果たして、マスメディアや多くの「オークション理論」を礼讃する方々は実際にナッシュ理論、など、また現実的なオークションのシステム(各国どころか、それぞれの組織において大きく異なる)をご存知であろうか?

またノーベル経済学賞も、もうネタ切れなのか?という我が感想を共有できる方々はおられないのか?と思ったりする。華麗なる大きな貢献という感じで(同じ経済学賞でもそれぞれにその価値や偉大さが同じノーベル経済学賞でも大きく異なる)1996年にノーベル経済学賞を受賞し、金融会社LTCMを起業したショールズとマートン。私は実際に取材もしているが(その取材に関しても某日本の地上波テレビ局など全く私が何をやっているか、ご理解なさっておられなかった感があるが)そのすぐ後に、LTCMは倒産してしまったのである。

理論的にも偏微分を超える高等数学にて、マートン&ショールズの理論の適用により、本来の近代経済学の欠点を補えるだけでなく、実際に前提を全く必要としない形での経済理論なのである故に、実に現実世界への適応性があるにもかかわらず。

オークション理論はその理論の論文には一切数式も出てこない感じの文学的論文である。読んでみてガッカリ。ナッシュ理論の方が遥かに価値がある。端的に言うと、例えば周波数の入札のようなオークションにおいて、ある特定の将来的に或いは他の誰も知らないようなその周波数の利用法を発明したような存在が入札、オークションにいたとしたら、皆で他の人々もその情報を共有しましょうと言うレベルに過ぎない。

しかし、如何なる発明も技術的側面においても発明者やその能力者しか現実にはそれを実施できない。同時に2020年のノーベル経済学賞の「オークション理論」など、知的財産権法上の、意匠権、発明権、特許権、などなどそれを開発したり研究したりした存在や、さらにはそのような価値に報酬と保護を与える知的財産権法の法哲学にことごとくもとるとしか言いようがない。

特に理解さえ難しいような具体的なオークションの対象ー例えば周波数でもーの将来的活用や発展の理論や具体化など情報のレベルを遥かに超える価値であり、それを「皆でシェアー共有しましょう」というオークション理論などナッシュ理論とも異なるし、同時にオークションそのものや価値の相対性やある種の秘匿保護性により現実化できるものをことごとくダメにする理論としか、私には思えないのである。

数々の論文を原典にて読んでみたがすっかり不機嫌を通り越して、一体ノーベル賞などなくてもあってもいいのでは?例えばショパン国際ピアノコンクールのように「該当者なし」というシステムにすべきだと思ったりする。またノーベル賞がカバーしている分野はあまりにも狭く、必ずしも全ての理想的価値の創出に合致しているわけでもない。様々なロビー活動の話など、私は外務省の方々からかなり具体的に聴いている。所詮、ダイナマイトという戦争やテロに使われる道具を発明したノーベルの罪滅ぼしと、自責の念、そして己の価値を高め批判から免れようとした産物に過ぎないという受賞例が、昨年2019年の文学賞受賞者二人にしても最近とみに多いと感じるノーベル賞でもある。

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因みに、私が欧州在住中に、ロンドンのクリスティーズかサザビーズにて、事前ヴューイングにご招待されたオークションのひとつが、ストラディバリウスのバイオリンのオークション。上記は私の手元にあるクリスティーズが行った1997年ダイアナ妃が亡くなる前のドレスのオークション。また昨今では美術品が、国際的にマネーロンダリングの手法として使われていることが問題になっている。経済理論?とは私においては思えない「オークション理論」よりも、不正なお金の取引手段としてのオークションへの法的規制を求めたくなるぐらいである。

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