世界を自分に取り戻す
タイトルの言葉は、東京シューレの幹部の方の言葉です。
これは、不登校の子供たちとの関わりの中で生まれたものだと思いますが、自分以外の誰かの価値観でがんじがらめになって苦しんでいるすべての人に必要な言葉です。
例えば私の場合。
私も例に漏れず、ずっと自分以外の価値観で生きてきました。
子どもの頃は親の価値観で。
大人になってからは、親の価値観をベースに自分以外の誰かの価値観を混ぜ合わせて勝手に作り上げた価値観で。
子どもの頃の私は、親に振り向いて欲しい一心で、彼ら(というよりも主に母の)ニーズを先読みして行動していましたが、そうやることで褒められれば、それなりに満足していました。
でも、国立大学に進学して彼らの希望をある程度叶えた後、自分の進むべき方向を完全に見失います。
入学したのは教育学部教員養成課程でした。
これも、教員になったら親は満足だろうという動機で選択したのですが、入学してから、実は自分は教員になりたいわけではないし恐らく向いていないということに気づきます。その結果、在学中に鬱のような症状が出始め鎮痛剤と風邪薬を常用するようになります。
就職活動も途中で放り投げ、先の見通しもないまま卒業。
卒業後は、自分と同じような生きる希望と目的が自分ではない(彼の場合は、彼の母親)に依存するようになります。
私は、彼の価値観で生き始めます。
例えそれが借り物の価値観だったとしても、何もないよりはマシだったので、彼とうまくいっている間は、それなりに幸せだと思っていました。
でも、他人の価値観で生きているということはその人の世界を生きているということで、いつもどこかに不安定さが伴います。
その不安定さの原因を探すために、この時期からの私は、自分の興味があるものに片っ端から手を出してみるという作業を始めます。
その結果、彼の価値観と私が求めているものの歪みが大きくなったためか彼の行動が次第におかしくなり(今思えば、元々おかしかったものが見えていなかっただけかもしれないのですが…)、30歳を目前に強制終了のような形で終わりを迎えます。
そんなことがあってもまだ私は自分の世界を生きることができません。
それぞれ、結婚したりバリバリ働ていたりする友人たちと自分を比べ、私は家庭と仕事を両立できるようになろうという目標を立てますが、それも他人の価値観。
この時期私は、数年間の無月経を経験します。
そうしているうちに、今のまま働いていたら自分は自殺するという確信が生まれ、仕事を辞めます。
この時私は30代半ば。
自分が何もできないことに絶望しました。
でも一方で、自分が求めていないことを無理に続けない決断ができたことで、気持ちがとても楽になりました。
失敗しても同じことを何度も繰り返し、自ら進んで辛い方を選択することを止め、私の「世界を自分に取り戻す」作業が、ここでようやく始まりました。
この後、フリースクールに関わるなかで夫に出会い、結婚。
出産を機にホメオパシーを本格的に学ぶ決意をし、今に至ります。
ホメオパシー相談会の中で行うインナーチャイルド癒しは、言わば「世界を自分に取り戻す」作業そのものだと思っています。
自分の価値観を生きていない時、人は体に不調を起こすものです。
今、苦しいと思っていることがあっても、それが自分に必要なことだったと思える時は必ず来ます。
その人が、自分の世界を生きられるようなお手伝いをしたいと思っています。