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人生無駄なしとは言うけれど
よく「人生無駄なことはない」と言いますが、50代も後半に入って、これまで「点」だと思っていた経験が「線」となって繋がってきていることを、ますます実感します。
以前、書くことをメインに活動していたと書きましたが、
遡ってみれば、書く仕事に携わるずっと前から、伏線が敷かれていたように感じます。
私は幼い頃、入院生活を何度か経験していたからか、もともと本を読むのは好きでした。
読書感想文は、そもそも書く意味がわからなくて嫌いだったけど(笑)
作文は、先生の推薦で地方誌に掲載されて、逆に恥ずかしかった記憶があります。
(中学生がイキって、思ってもいないことを書いてしまっていたから)
まあ、そんなことよりも、今のベースができたのは、高校時代。
放送部に所属して、放送原稿を書いていたのが大きかったと思います。
普段の校内放送はさておき、一番プラスになったのは、大会用のアナウンス原稿。
内容は、ニュースの合間にある「今日の特集」みたいなコーナーをイメージしていただけるとわかりやすいかと思います。
もう40年ほど前のことなので、記憶は曖昧ですが、アナウンス部門の場合、400字詰め原稿用紙1枚に書いた文章を1分半程度で読むというもの。
校内放送をイメージしてテーマを決め、自分で原稿を書いていきます。
字数制限があり、なおかつ、一度耳で聴くだけで理解してもらうとなると、スッと入ってくるようなわかりやすい表現を意識したり、数字を入れて具体的にイメージしてもらったり。
読み方もさることながら、興味をひく導入の言葉選びとか、工夫するポイントがたくさんあります。
そうやって書いては消し、書いては消しを繰り返し、無駄がなく密度の濃い文章に仕上げていく。
アナウンス部門で大会に出たのは、一度だけでしたが、今でも書き起こして説明できるほど、当時の経験は私の血となり肉となっています。
とはいえ、書くのが目的で部活をしていたわけではないので、大学に入って、そのことはすっかり忘れていました。
放送部の経験が実になっていると認識したのは、卒論を書いていた時。
担当教官は、結構厳しかったうえに、教育系の実践研究でしたから、週一ペースで子どもの指導をして1年分のデータを集め整理、分析して結論を導き出し、文章に起こすという作業を1年半近くしていました。
大学に入ってからというもの、自由を満喫しすぎて、それに責任が伴うことをまったく理解していなかった私は、いわゆる劣等生で。
3回生までのツケを4回生の時に一気に返そうとしたため、研究室の仲間からは白い目で見られるし、なかなかヒリヒリする環境でした。
そんな劣等生の私を色眼鏡で見ることなく指導してくださった担当教官と、PCが使えない私の「こんな教材がほしい!」という要望を叶えてくれた同級生には、感謝するばかりです。
少し脱線しましたが、周りの人が卒論の原稿を何度も突き返される中、なぜか私のは毎回一発OK。
むしろわかりやすいと褒められるほどでした。
高尚な言葉を使ったり、小難しい表現はできないけれど、ある意味、誰でも読めて理解しやすい書き方が私の持ち味。
高校時代に培ってきたものが、こんなところで役に立つとは思いもしませんでした。
就職してからは、ビジネス文書をひたすら作成していたので、伝えたい情報をコンパクトにまとめたり、フォーマットの作り方を学んだりすることができました。
IT関係の会社に勤めていたものの、まだインターネットのない時代でしたので、メールの書き方は、在宅ワークを始めてから実地で身につけることになります。
それでも、今までの経験が功を奏したのか、メール対応の文章も好評価をいただき。
私にとっての「書くこと」は、基本メインテーマではないのだけれど、常にサブアイテムとして、無意識のうちに鍛錬してこれたのは、とてもありがたいことだと思っています。
今回は「書くこと」を中心に綴ってきましたが、ほかにも大学時代、実は不登校になったこととか、まったく畑違いの会社に就職したこととか。
一見マイナスにみえたり、辛かった経験も、無駄にしてしまうかどうかは本人次第だと、私は思います。
あ、とはいえ、人の辛い経験を軽々しく「いい経験になったね」とか「今後の糧にしていけばいいね」とか言うものではない。それは大きなお世話。
私が経験した直後にそう言われたら、心の中で、軽くぶっ飛ばしますし「じゃあ、同じ経験をしてみれば?」と思いますね。
本人が自分の中で咀嚼し消化して、心から「無駄ではなかった」と言えるようになってこそ、意味のあることだと思うからです。