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やりたいことについて②

アンパンマンマーチが好きだ。
小さい頃はわけもわからずただ好きだったけれど、
少しずつ歌詞の意味がわかるようになってきて、より好きになった。

何のために生まれて 何をして喜ぶ
わからないまま終わる そんなのはいやだ

本当にそう。そうだよね。

今日は同じく休職中の同期と、お互いのやりたいことについて深掘りをした。その中で見えてきたものがあったから、またここで文章にして整理しようと思う。

以前同じテーマでブログを書いた時、
・誰かの人生のきっかけになるような仕事
・世の中の様々な生きづらさを無くす仕事
こんな仕事がしたいと言っていた。

今もそれは変わらない。
けれど、大きな疑問が生まれた。

じゃあ何でプライベートでやらないの?

そうだ。私は基本的に極少数を除いた他人に興味がないから、
自分から人と関わろうとしないのだ。
それっておかしくないか?
本当にやりたいことなら、もうすでにやっているのでは?

結局は、誰かのためになりたいというよりも、
自分の強みを活かしたいのかもしれない。

私は小さい頃から、人の目を気にして生きてきた方だと思う。
だから、今こんな反応をしたら目の前にいる人は喜ぶだろう、とか、
もうこの話題は興味がないんだな、とかを常に考えながら会話をしている。
意識をしているわけではなく、無意識に。
無意識だけれど、かなり仲の良い人以外と長時間一緒にいることは正直疲れる。疲れるけれど、できる。
この特性のおかげで、大学時代の予備校でのアルバイトではかなり生徒に慕われた。特に努力したわけでもないのに、生徒への接し方を社員の方に褒められたりした。

だから、人と向き合う仕事がしたいのだと思う。
疲れはするけれど、できるから。
そういうことかもしれない。

そうなると、今の仕事だって人と向き合う仕事なのに、何が無理だったのか。
今までは、商材に興味がなくてたくさん売れたとしてもエンドユーザーに大した価値を与えられないことが苦痛だったと言っていた。
それも嘘ではない。
けれど、一番は必死になれなかったことかもしれない。
本当にクズだけど、それが一番大きい。
その商材の市場は飽和しているし、国の制度にも色々と影響を受け、かなり売りにくい状況ではあった。
そんな状況の中で、何とか効果的な売り方やオペレーションの改善をしなければならなかった。
しかし、そもそも商材自体に興味がなく、売ったところで何になるのかも疑問で、そうなると考えることが苦痛で、できなかった。
結果を出すために必死になることができなかった。
そんな自分に嫌悪を感じながらも、変わることができなかった。
商材に興味がない・価値を感じない→必死になれない→結果が出ない→自己嫌悪→何とかしようとはする→商材に興味が・・・
負のループだ。

人と向き合う仕事だとしても、
扱う商材に興味や価値を感じられないと頑張れない。
それが自分という人間だ。こどもだなあ。まあしょうがない。

では、私は何に興味があり、価値を感じるのか。
興味→本・音楽・食べ物
価値→誰かの人生が生きやすくなるもの・こと
   誰かの人生にプラスのきっかけを与えれるもの・こと

よし。最初に戻ってきた。
「興味」に関しては深ぼる必要がないから、
「価値」を深ぼっていく。

おそらく、
・誰かの人生のきっかけになるような仕事
・世の中の様々な生きづらさを無くす仕事
というのは、やりたい、というよりも
どうせやるならこういった内容じゃないとやる気にならないということなのだろう。
だから私は、よくある「Can・Want・Must」でいうと、
Canだけでは結局頑張れない人間ということだ。
世間的に見ればこれはただの子供で本当に社会人失格だと思う。

ちょっと辛くなってしまったので、続きはまた明日。
もっと深ぼらないと。


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