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私にとっての感謝ワーク
前回のnoteでは、自分を取り戻すための一番最初のステップの話しをしました。
鏡を見て自分に言うのがポイントです!(言い忘れました)自分自身を抱きしめても良いですね。
ちょうど、去年の今頃に、私は私にありがとうと言いました。それは急に心から湧き上がってきて、すごく自然に言葉になって口から出たのです。
そのとき私は感謝ワークをしていました。自分の身の回りや、身体が自由なことや、家に床や壁があることとか、そういうことに感謝していて、でもなんだかしっくりこない。
やっつけのような、「ありがとうとは常に思ってるよ」みたいな(笑)全然ワークの本質がつかめていない、やるとむしろ苦痛のような感じで、一回このワークはやめました。今もまだやれていません。
ただ、そのときに感謝ワークをやった意味は、まずは ”自分に言おうよ” ってことの気付きを得ることだったのです。
自分自身にありがとうを言ったことがない人が、周りに対して言えますか?
順番がまるで逆です。感謝ワークを推奨する本には、自分自身にまず言いましょうと、一番に初めに書いてください、って思います。それほどに、自分自身を置き去りにしながらも、周りのためにと頑張って生きている人が、絶対に絶対に多いから!!!自分にありがとうと言うなんて、知りもしないんですから。
これ以上、周りのためになにすればいいの??ですよ。
そうして、私は大泣きする自分にびっくりしながら、こうしてほしかったんだね、という安堵の気持ちとか、まるで私がいつも子どもによしよしするような優しい気持ちで、初めて自分を見つめてあげることができました。
自然に感謝の気持ちが湧くって、こういうことです。感情なのです。思考でこれも、あれも、ありがとうだけど。ってノートに書いたりすることじゃない。
私は通勤していた頃によく、電車を降りて駅のホームから改札へ行く途中の道で、得体のしれない大きな感謝に包まれることがありました。涙出そうになるほど、世の中と自分は一部なんだなー、って、謎の感動が沸き起こるんです。同志のみなさん、お疲れさまです!みんな輝いていますよー!ありがとう!と、なります。
そう。感謝ワークに意味を感じないのは、こういう巨大な感動、(あれがなんなのかはよく分からないのですが…)心が動くということを身体で理解しているから、ノートに書いて、じんわりほっこり、って違うな?と思っちゃうのかもしれない。
こういう経験、したことある人いますかね…?
それは、スーパーで買い物していても起こるし、子どもたちが愛おしいなぁというときにも沸き起こる。
ちまちました思考から引っ張り出す感謝とは比べものにならないのです。
こうして、多くの人がこのやり方で成功したよ!とか、こうすると叶います!みたいな情報に溢れかえっている現代ですが、もちろん自分がまず素直にやってみて、合えば続けて、合わなければさっさとやめればいいのです。三日坊主になれるのは、とりあえずやってみた人だけですからね。
私もいつか、今度は素直に感謝ワークの効果を心から実感できるようになるかもしれません。