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救難信号ボタンには、簡単に押せない抑制装置がついている?
もうぼちぼち、うちの子は2歳。先日は風邪をひいてシロップのお薬をもらってきたのだけど、ちょうどこのくらいの小さい子どもが誤って開けてしまわないように、①キャップを押し込みながら、②回す、という二段階操作が必要になっていました。誤作動が起きないようにするための安全装置です。
もう一人、うちには風邪ひきさんがいました。奥さんです。
なんと、今二人目の子どもを身ごもっています。
夏から秋の初めにかけてつわりがひどく、食生活がガラリと変わり、軽い風邪を引き始めたと思ったら、治りきらないまま現在を迎えています。私が仕事で泊まりの日なんかは、奥さんの両親に来てもらい、助けを得ていたのですが、それができない日もあって、つわり+風邪症状+短時間勤務の仕事+1歳児のお世話という負担が大きい時間を過ごすという苦難に耐えてもらわなければならない時も何度かありました。妊婦でなければ簡単に飲めるお薬も使用制限があり、保育園に通う1歳児が園から運んでくる多様な雑菌に晒され、仕事を休めば後ろめたさを抱えるというハードモード。
以前は、仕事+1歳児のお世話のみだったので、寝かしつけをした後の夜の時間帯は妻にとっての可処分時間でした。好きなことをして、日記を書く、というセーブポイントみたいな時間となっていたようです。
しかし、しんどい体を起こして寝室を出てくることができなくなり、かといって体調も良くはならず、朝に具合悪そうに起きてきて保育園と仕事の準備をする…という、ゲームで言うところのセーブ無し・回復薬無し・宿屋無しの縛りプレイのような生活に突入したわけです。(文字に起こすと強烈な響きを感じる…!)
一方、夫であるゆきちかさんは何をしていたか振り返っていきましょう。
もともと家事は一定量こなしていたのですが、しんどい奥さんに休んでもらいたいがために私が家事前線に飛び出すと、休んでいる妻がモンスター(1歳児)に襲われHPを削られている!みたいな場面が多くなり、家事サイクルの中断が顕著になりました。集中と中断の連続に疲弊するゆきちか氏。
あとは家事サイクルに気持ちを向けるために必要な、いわばMP(メンタルポイント、みたいな)は、“家事をすると奥さんに褒められる”というイベントによって回復していたところもあったのですが、これがなくなったのが痛かったです。それだけならまだしも、“8割がたできたこと”よりも“2割のできていないこと”だけにリアクションが返ってくるMPダメージイベントが増える、という困った難易度設定になりました。残った2割が奥さんの少ないHP・MPにダメージを与えてしまう、という事情は頭では理解しつつも、「こっちもゲージがオレンジ色になってきたよー」と悲鳴を上げたい、でもそう言ったらそれも奥さんの体力を削りかねない(奥さんのゲージは既に赤)…と言葉数が減る私。
こうなってくると、まあ面白いもので、意思疎通がずれ始め、相手が思っていないこと、望んでいなかったことをしてしまうんですね。頭で考えたことと、言葉で言うことが反対になっている、だとか、反対のことを言ってしまったのに気づかない、だとか、ただ単に聞きもらすとか、現象として起きていることはそのような些細なことなのだけど、それを冷静に修正し切るほどのコミュニケーションコストを支払えない状態。表面上、謝ったり、これ以上は論点のズレはないよ、と引き下がったりするけれど、飲み込んだ言葉が、自分の中の救難信号ボタンの在処を覆い隠していく感じだったのではないかと思います。
夫婦の何気ない会話。奥さんがお医者さんにもらった薬の一つ、「カルボシステイン」について。
私「カルボシステインって、どこにイントネーション置くの?私の中では“カルボシ・ステイン”なんだけど」
奥「え、“カルボ・システイン”じゃないの?ほら、カルボで始まる横文字の成分とかあるじゃん。システインも、システインじゃん(素気ない)」
私「そうなんだ、知らんかった。歯の汚れのステインのイメージで軽い星のステインてイメージだった(内心、なぜか傷ついた気持ちになる)」
今の私「この薬のパッケージ、テインが小さい文字になってて“カルボシス・テイン”て読める…!!」
…という冗談はさておき、何気ない会話に摩擦が生じる状態がしんどかった。
なかなかに苦しかったのは、それでも可処分時間は私の方が多かった、という点です。子どもを保育園に送った後から遅番勤務までの間、とか、子どもと奥さんが寝入った後に帰宅した場合の夜の時間帯とか、家事をこなした後でも、多少一人の時間が作れる。
「これと同じくらい奥さんにも一人の時間があればちょっとは気持ちの整理ができるかもしれないのに、あーまたあんまり意味を感じられない動画を見て時間を過ごしてしまった…」
と、このように負の感情が私を癒すべき可処分時間を汚染し始めました。「一人の時間、サイッコー!!」とご機嫌に過ごしていれば、奥さんと子どもがいる時間帯にも元気が出せたかもしれないのに、罪悪感で終了しては後ろめたさとともに奥さんと顔を合わせる羽目になってしまいました。
あとは、仕事にも影響が及び始めました。忘れっぽくなって、ダブルブッキングをしてしまったり、提出物を忘れたり、連絡を入れ忘れたり、すれば後が楽チンになる配慮が出せなくなったり、施設の中の人たちとのコミュニケーション量が減ったり…。羅列すると結構まずい状態だったと気づきますが、仕事をこなす自分像が崩れるというのも結構厄介です。子どもや同僚への後ろめたさもくっついてくるこの感じ。
責任を持って仕事に向き合うためには、きちんとリスクに対処する必要があって、今の私の場合は自分の調子の悪さを公表して支援を得ること、つまり救難信号ボタンを押すことが私の仕事になります。
…!!
今書いてみて、ハッとした感じがありました。そう、ある意味問答無用で「今しんどい!!」と手を上げる必要があったわけです。
後ろめたさという、生ぬるい、他者への優しさであるかのように見えてしまう抑制装置!この抑制を押し切るか、装置を外さないと押せないボタン何ですね。しかし、一人ではどちらの方法も取りづらい気がする。ぬう…。
言いたいことも言えないこんな余裕のなさじゃポイズン〜♪
俺は俺を騙すことに気づけなかったーウォウォ〜♪
一度休憩を挟んで再開しました。
さて、私のテーマ(児童養護施設の検索結果をよりグラデーション豊かにしよう!)としてはここからです。どうもこんにちは。ゆきちかさんですよ。
書き記してきたこの話、文字起こしのスタート地点に来るにも一苦労でした。11月も下旬になり、やっと奥さんが「あ、今ちょっと元気だ!」と笑顔を見せる時間が出てきた、という背景があっての書き出しです。仕事上のミスについても、時間を置いてから再度謝ると共に、「今ちょっと家族総出で具合が良くなくて」というSOSのちょっと出しを何度か行って、やっと書き始めることができた、という感じです。
まだ乗り越えたとは言えませんが、ちょっと考えます。家庭と児童養護施設の仕事の両立について、です。
うちの施設の施設長やベテラン職員の経験を聞くと、「自分の子どもほどネグレクト状態だった」という言葉で表されるほど、児童養護施設の仕事に時間を費やす必要があったようです。それだけ職員の自己犠牲によって施設は成り立ってきた、それだけに止まらず、子どもが社会や施設の行き届かなさを受け止める役をになってきた。
これ、ほんとどうしようね、という気持ちです。
抑制装置が救難信号ボタンを押させなかった場面とか、どのくらいあったんだろう?むしろ今現在抑制がかかっているボタンは身の回りにどれくらいあるだろう?と想像させられます。
施設職員が勉強と力が足りなかった故の問題なのか、子どもや家庭が大変な存在だったという問題なのか、施設の力不足と家庭の大変さを助長する社会構造の問題だったのか、問題ベースで考えるとどこまでも行けそうです。
ただ、子どもたちをケアするための余裕を職員が持ち続けるための、職員のケアをすること、つまり「職員のケアが子どものケアに通じる」という理解で進める方向性は間違いないのではないかと思います。まあ、実体験を元に言えばですが。
このボタン、押すのがなんだか心地いい、思わず押したくなっちゃうよねー!という、そんなボタンに変えることできないかしら。「緊急SOSボタン」以外にも、何度押しても何の問題もない「しんどさ小出しボタン」が実装されないかしら。そうするとしたら、どんな立場で何に動き出せばいいのか。
とりあえず、「私はこんな苦境も弱音を吐かずに乗り越えた!」的な語りを次世代に伝えないと自分を支えられない、みたいな大人にならないように、今現在の楽しさで自分を満たそうと思います。「一人の時間、サイッッッッッッッッッコー!!!!」な私でいようと思います。
ゆきちかさん
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