今年は5回目の年男
「今年、年男だよ」
と言うと、実年齢を知らない人からは、
「4回目?」
と訊かれることが多い。
「ううん、5回目」
「ってことは還暦じゃないの?」
「そうだよ」
60才なのに48才と若く見られることを自慢したいわけではない。もちろん、老けて見えるよりはいいのかも知れないが、外見が年相応でないのは、蓄積してきた今までの人生に重みがないからだろうと思っている。
その要因としては、ずっと独身だったというのが大きいのだろうな。女房や子どもなど家族の生活に責任を負うという経験が一度もないのは、やはり決定的な差がありそうだ。
なぜ、独身を通してきたか。それは、今で言うところの「婚活」をしてこなかったことに尽きる。では、「婚活」していれば結婚できていたのかと問われれば、「分からないけれど、できなかった可能性が高い」という答えになりそう。
好きになった女性は何人かいるし、性的な欲望は女性にしか感じないので、その点でのマイノリティではない。逆に女性から見ての自分は、おそらく男としてのフェロモンが決定的に足りていないのだろうなと想像している。
人間だって動物だから、子孫を残したいという本能は、程度の差こそあれ、ほとんどが持っているはず。そして、それは強い遺伝子を持つ者ほど大きいのではないか。自分の持つ遺伝子が弱いゆえに、結婚して子孫を残すということに執着しなかった、あるいはできなかった。
だから、ギラギラした男のフェロモンなどあろうはずはなく、そんな弱い男の遺伝子を自分の子どもに残したいと思う女性がいないのも必然だろう。
こんなことを書くと、努力してこなかったことの言い訳にしかならないけどね。
じゃあ、そんな適齢期に何していたかと言えば、ひたすら趣味に走っていたということになる。少なくとも他人から強制されたわけではなく、自分で選択したのは間違いない。
幼い子どもを連れた若い夫婦を見て、幸せそうだなとは思うけれど、自分もそうなってみたかったとか、羨ましいとか妬ましいとかはないし、だから「婚活」しなかったことを悔やんでいるわけでもない。
これから迎える60代は、シニア、老後という言葉がちらついてくる。病気したり、あちこちに衰えを感じたとき、パートナーがいたらなあと思うことはきっとあるだろう。そうなってもまだ、後悔していないと断言できる自信はないけれど。