上手には書けないけれど。

ありのままを書いてみて、自分も同じだって安心したり踏ん張る気力になれるなら。


現状

私は今とても苦しいです。
やりたいことも思うようにできません。

例えば最近だと、受診する予定があったのに動悸と息苦しさと吐き気がひどく、身体がずっしりと重たくて思うように動けず、不安で不安でたまらなくてキャンセルしました。
相手に聞き取れるかどうかぐらいの声でゼェゼェしながら電話して、なんとかキャンセルしたいということと次の予約をお願いするまではできました。

他には銀行に行かなくちゃいけない、買い物に行かなくちゃいけない。
そんな日常の何気ない予定であっても、同じように外に出るのが億劫でしんどくて行けないということもありました。


症状のようなもの

私ははっきりとこれっていう病名がついていません。
診断書にはなんだか小難しい病名らしきものが書かれていますが、わかりやすく自分以外の人に『あっあれね!』ってわかってもらえるような病名ではありません。

ただ心の調子に波があり、大きめの波が来てしまうといろんなことが普段の何百倍もの時間と労力を要します。

私が感じる主な症状は以下の通りです。

  • 強い不安

  • 焦り

  • 緊張

  • 動悸

  • 息苦しさ(時に過呼吸になる)

  • 吐き気

  • 物事を順序立てて考えられない

  • 優先順位がわからなくなる

  • 混乱する

  • 自分は価値のない人間だと思う

  • 何もかも全てのことを終わらせたくなる

  • クラクラ?フラフラ?目眩がする

  • 悲しいことがあったわけでもないのに、ほんの少しでも気を緩めたら泣いてしまいそう

こういう状態に陥り、着替えることすらままならなくなることがあります。

動悸や息苦しさ、吐き気、目眩あたりはパニックの症状だと言われたことはありますが、パニック障がいですよと診断されたわけではないんです。


自分自身への不信感

断じて病気でありたい、病名がついてほしいということではありません。それは誤解しないでください。
身も心も健康でありたいと強く強く望んでいます。

ですが病気だと言われたわけではないのに
【健康な人にはできていることができない状態】
に対し
【あなたはこうだからそうなっているんだよ】
と自分に説明してあげられないことが、更に苦しかったりするのです。

【なぜこうなっているんだ】
【あなた(私)は一体どうしたいの?】
【何がしたいの?】
【どんなことならできるの?】
【本当は何もできないんじゃない?】
【生きてる資格ある?】
そんなふうに自分への不信感がどんどん募っていきます。

甘えと言われればそれまでですが、気持ちの上ではやらなくちゃいけないことはわかっているし、わかっているから動けないことに不安を感じ、ものすごく焦るんです。

それが人様に迷惑をかけてしまうようなことなら尚更。どうしてこんなこともできないんだ!と自分をこれでもかというほどに責めます。

与えられた仕事、役割は責任を持って最後までやり遂げたいという気持ちは持っているため、そうしたくてもできない状況になってしまうことが苦しくて悔しくて情けなくて、どうして私は…!と責めるのです。


無理をしない・休むは難しい

こうなった時、お医者様や周りの人達は無理せずに休むように助言してくれます。

ただそれで休むとどうなるかわかりますか?

あくまで私の場合ですが、自分の存在価値がわからなくなります

人様に迷惑をかけ、子どもにも嫌な雰囲気を感じさせてしまい、多くの人が当たり前のようにできている家の掃除をすること、整理整頓をすること、お風呂に入ること、食事を作って食べること、後片付けをすること、人とのコミュニケーションができずにただじっとお布団の中でうずくまってドキドキしながら全力疾走した後のように息を切らして震えている。

そんな自分が心の底から嫌になります。
消え去ってしまいたくなります。

他の人がどうかはわかりませんが、少なくとも私は心の不調で“休む”とこうなりがちです。

のんびり好きなことをしてゆったりと穏やかな気持ちで心身ともにリフレッシュ…なんてできたことはありません。


思い当たること

私は今、多分ここ数年で一番強く症状が出ていて、強いまま長引いています。

原因がわかればそこから距離を置けるなら置いて、少し落ち着くことができるような対応を取ることもできますが、今回はなぜこんなに症状が出るに至ったのか原因がはっきりとしていません。

なのでひたすら耐えるしかなく、日々処方された薬を飲み、強い緊張と不安の中1日が終わるのをひたすら待っています。

ただひとつ、今私は過去のことをとてもよく思い出します。
以前投稿した小学生時代のいじめのこと、保育園で経験したこと、幼少期の家庭環境。
頻繁に鮮明に思い出します。
所謂フラッシュバックというものかもしれません。

一番強く思い出すのは、勤務先の保育園で経験したことです。


外側からの判断

以前ここに見た目に関する投稿をしたことがあります。
たいした内容ではなく、単純に私は気が強そうだとかお酒が飲めそうだとか見た目で判断されるのってやだなーというようなものです。
(↓奇跡的に貼れたので、もしよろしければご参考までに)

少なからず人は見た目で判断する・されることはありますよね。

今私は誰がどう見てもまるまると太っているのですが、太っているから健康的ではないものの、しっかりと人の百倍ぐらいの栄養は摂り蓄えているように見えると思います。

ですが実際の私はまぁまぁそこそこ驚かれることもあるぐらいの低血圧ですし、頭痛持ちですし、原因不明の回転性の目眩持ちです。
何かあるとすぐ胃が痛くなり、お腹を下します。

外では努めて明るく振る舞うため悩みなんかなさそう!と言われることもありますが、どんなに小さなことでも深ぁく深ぁくドン底まで考えに考え、それもその方向は決まって純度100%のネガティブ寄りです。

外側から見えてるユキヤナギと、内側に存在している本人ユキヤナギはわりと真逆な印象であることが多いと感じています。

今のこの体型は自分への甘さが大部分ですが、ストレスによる過食も大きな原因です。
怪我をしたことで思うような運動がなかなかできなくなったことも理由の1つだったりします。

でもそんなことをいちいち説明すると言い訳だなぁと思うので、これは必要だと判断した時以外は自分から話したりはしません。

なので勤務先にいた私を良く思っていなかった人の中には
【自己管理のできない自分に甘いデブ】
と思っている人もいたようでした。

あれほど太るだけ栄養とってるくせになぜすぐ風邪を引くのか?
なぜ怪我をするのか?

そんなふうに見えているようでした。

だけど私は見た目から得られる情報が全てではないこと、人にはそうなった理由や背景が存在する場合もあると思うのです。


理由はあれど

いじめの投稿でも書いたと思いますが、人に嫌がらせをする側にもそちら側なりの理由は存在するのだと思います。
それが例えどんなに理不尽であっても、どんなにバカバカしいことであっても。

ただいかなる理由があろうとも、だからって人を傷つけていいことにはなりません。
何をしてもいい、何を言ってもいい理由なんてないと私は思っています。

自分としてはどんなに正当な理由であったとしても、人の心に深い傷を負わせるということは、一生治らない大怪我を負わせたということだと思うのです。


全治一生?不治の怪我?

これは何年経っても何十年経っても、今の私のように突然その傷が痛み出し、何日も何ヶ月もまるで今それを経験しているかのような苦しい日々を送ることもあります。

時薬(時は全てを癒やしてくれる)というものがありますが、今現在この時薬は私の心には効果がありません。

今はいじめられていた小学生ではないし、嫌がらせを受けていた現場の職員でもありません。

だから心の調子が良い時には普通に過ごせるし、そういう意味では時薬も効いてはいるのかもしれません。

でも心の深く深くに根付いたものや、すっかり奪われてしまった自尊心(「自分を尊いと思う心」自分自身を大切にする気持ち)は、時薬で癒やされることも傷自体がすっかりキレイになくなることもありません。

トラウマとなり心に残り、不意にフラッシュバックとして何度も何度も繰り返されたりする場合もあります。

それでも乗り越えたい、克服したいと藻掻いて足掻いて、楽になりたい、逃げたいと思いながらも抗ったり受け入れたりしながら生きていくしかありません。


権利

誰でもみんな幸せになる権利、自由である権利、命を全うする権利がありますよね。

だから私も子どもと一緒に自由に人生を楽しみ、幸せに暮らして、与えて頂いた命を全うしたいです。
誰であろうと、その権利を奪うことはできないはずです。

だからこんな稚拙な文章ではありますが、少しずつ自分なりの言葉でたったひとりでもいいから人を傷つけることの重大さを知ってほしいのです。

ずっと私にできることはなんだろう?と考えてきました。

人前で話すことも苦手。
保育士として子ども達に優しい思いやりの心を育てていきたいけど、それも難しい。

ずーっと 『 私 な ん か 』 と思って生きてきました。
私なんかにできることなんかなんにもないと。ただ静かにひっそりと子どもとふたりで幸せに暮らせたらそれでいいじゃないかと。

でもいつもどこかに、こんなに苦しい思いをする人はひとりでも少なくあってほしいと思っていました。

昔から下手の横好きで、文章を書くことが嫌いではありませんでした。
文才も語彙力もないけれど、私にできることがあるならこれかもしれない。
そう思って、教えてもらったこの場所に自分の言葉で綴っていくことにしました。

読む人がいなくてもいい。受け入れてもらえなくて当たり前。

そう思ったら、少しずつですが書くことができるようになりました。


最後に

今苦しい人はいますか?
今自分じゃないけれど苦しそうにしている人が身近にいる人はいますか?

もしいたら、ここにもそういう人間がいることを知ってもらえたら嬉しいです。

顔も知らないし、お話したこともないし、お名前も年齢もなんにも知りません。

でも私も日々この苦しい気持ちと闘っています。

頑張るとか頑張らないとかの次元じゃなく、その日その時間その瞬間をいかにして乗り切るか。
それが心が疲れてしまった時の私の最大の課題であり、目標です。

  • 一つ一つ躓いてもゆっくりでもいいから乗り越えていく。

  • 他人は他人、うちはうち。

  • 周りをたくさん巻き込んでても自分を一番に考える。

  • あなた(私)の人生はあなた(私)のもの。

  • その日できる100%でやる。

そう心に刻んで、辛くなったらこの言葉のどれかを思い出すようにしています。

これは志の高い若いひとりのアイドルがつい先日発信してくれた言葉です。

愛と感謝を忘れずに、受けた傷の分だけ痛みを知っている私達は強いと信じて、命を大切に生きていきたいと思うユキヤナギでした。

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