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日記「夢の再生装置」
嫌な夢をよくみる。全く夢をみずに朝を迎えることは幸せだなぁと思う。素敵な夢だって、あっもうちょっとこのまま夢をみていたい、って思った時点でもう夢だと認識していてちょっと残念な気持ちになる。夢は記憶の整理と聞いた事があるが果たしてそうだろうか。勝手に記憶を塗り替えて私の歴史をめちゃくちゃにされた気分だ。脳科学とやらは信用ならんっ。宇宙と同じくらい解明されていない事ばかり。いい夢を見る方法とかググッたり、んにゃ、ヤフったりして、挙句の果てに会いたい人の写真を枕の下に忍ばせる、なんて古典的なおまじないを夜な夜な遂行しているのである。
先月「アヴァンガルド勃興ー近代日本の前衛写真展」というものを観に行った。写真界に精通しているわけではなく、自称詩人として芸術というものに触れた時にどのような感情になるものなのか、という実験的なものである。
いざ静かな館内に足を踏み入れ、こうゆうのすごく興味があり詳しいんです的オーラを出しつつ、なるべく堂々とする。
最初に飾られていた写真はりんごの写真。うん。りんごだね。よく見るとりんごのへたがネジになっている。思わず「り、りんごの芯がネジっ!」。いかんいかん。これこそ近代日本の前衛写真なのだよ。これこそが芸術なのだよ。アートだよアート!ふむ。どうゆう発想なのだろうか。りんごにネジをぶっ刺すとは。
撮影OKの気になった写真はスマホでパシャリ。気づけば夢中になっていた。作者の意図を考えたりどう解釈すれば良いのだろうと考えたり。説明はできないけれどすごく惹かれる写真があったり。そんなこんなで一篇の詩を書き上げた。誰かの創作物が誰かの創作物を産み出すって素敵なことだ。この一篇の詩が誰かに届いたら嬉しいなと思ったりする。
撮影した物の中に「夢の再生装置」というタイトルの写真が残っている。たぶん私は日常的に嫌な夢をみるからスマホにおさめたのだろう。
ところで。。。
眠った時にみる夢の再生装置なのだろうか。
こうなりたいっていう夢の再生装置なのだろうか。
解釈は自由だよね。
私は両方の夢の再生装置であって欲しいと願う。
日付が変わってしまった。夜更かしはきっと嫌な夢をみるんだろうな。でも今この文章を書いているのは夢に近づく為でもあるのだ。
では、いざ、夢の再生装置のスイッチをぽちっ。
おやすみなさい。。。
写真「夢の再生装置」本庄光郎1907~1995
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