全てが学びのプロセス

大手企業や個人クライアントへ向けてコーチングをやっていた頃、目の前の人の成長プロセス、自己認知プロセスはどの辺りかな、と見つめる事が多々あった。人それぞれの段階があるので、どれが良い悪いではないし、その人がどこへ向かうのか、向かう先に優劣なんてもちろんない。

だってそれぞれの学びのステージは別だから。(ただ、自分が敏感すぎて相手の負のエネルギーもらいやすいのに我慢してやってた事に気づいたのはここ最近😂)

魂レベルで見ると、個々の今世の目的も全く違うであろうから、わかりやすい大義名分に飲み込まれて、自分の心の奥の本音を置き去りにしてる人を見つける事も多々あった。

対話しながら、言葉の使い方や単語のニュアンスの奥にあるその人の前提を感覚的に察知して、気になったポイントを中心に質問を投げながら掘り下げていくと、その違和感の元が見えてくる。自分で気づかなかった本音、実は気づきたがっていた本音、本当に様々なものが出てくる。

人は年齢関係なく、亡くなるまで学びのプロセスは続くと思っているので、自分自身も常に「目の前の事象って今の私にとってどんな意味?なんの投影?」と見つめる癖がついた。

この世界は全てが自分の内面の鏡のような役割を担っていると私は思っているので、人それぞれが持つ前提の「A=B」というパラダイムの多種多様さにも驚く。

それぞれに生まれ育った環境の中で後天的に育ったパラダイムをシフトさせていくプロセスがこの世界の醍醐味っちゃー醍醐味なのかもしれない。

一見ネガティブないざこざも争いも勘違いも嫉妬も妬みも見下しも、何もかも自分の心の奥の前提を見つめるヒント。

変わるのは世界じゃなくてまずは自分自身の内面から。自分の本当のニーズに気づく事から。

自己内観のステップっていろんな方法があるけど、義務教育レベルで絶対にその方法は皆知っていたらいいのに、と未だに思う。

自己犠牲からの他人への何かよりも、まずは自分を満たす事が延いては世界に優しい波動を広げていく。

自分に優しくした事がない人は人へ優しくする事もわからないのだろうな、と今までの経験からつくづく思った。

どのプロセスも善悪で安易に判断なんてできないし、ただただその人に必要な要素を含んでるから目の前にきただけ、という事をニュートラルに話せる相手がいるのは幸せな事だなと。

とりあえず今日の徒然。




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