見出し画像

私だけが変えなきゃいけないのはフェアじゃなくない?

待ち合わせに毎回遅刻してくる人がいる。
私は人と待ち合わせをするとき、後から到着するとなんて相手に声をかけたらいいかわからないというコミュ障の極みのような理由で早めに行く。
大抵5分前行動、だいたい相手よりも先に着く。
だけど、遅刻魔のその人と待ち合わせをするとき、頑張ってちょっといつも通り早めになんていってしまうと、40分待ちぼうけをくらうなんてこともザラだ。

早く行く割に、待つのが得意じゃない私は、その突如発生した40分に結構苛立ってしまう。
これだけ時間があったらこんなこともできたのに今日は何も準備してこなかったからできない、あと数分というから立って待っていたのにそんなにかかるならどこか行ってしまえばよかった、とか滅茶苦茶思ってしまう。
前々からわかっていたらそれなりにその時間にやることを準備していくし、座って本が読める環境とかだと全然気にならないそれは、何も用意していなく不意打ちをくらった時に辛い。

仕事終わり、何時ときっかり約束をしていなかった夜、「ごめん遅くなっちゃうけどこの時間に着く」と連絡があった。
意外と時間がないのではと思い乗り換えアプリを調べると、今すぐ電車に乗っても間に合わない。
慌てて近くの路線の違う駅を入力する。
地下鉄では間に合わなくても、JRならなんとか間に合いそうだった。
そこで駅まで10分程度の道のりを走って、なんとか約束に間に合う電車に乗り込む。
しばらくしてもう一度入った連絡には「やっぱりこの時間に着くや」。
提示された時間は、頑張って乗った電車の到着から30分以上後だった。

これを受けて、この人と待ち合わせをするときには立ったまま時間を無駄にしないですむものを用意しておくだとか、無理して間に合わせようとしないとか、解決策をいくつか考えて共有して運用し始めたばかりだ。
待ち合わせに間に合わせるために何かを諦めることを、滅茶苦茶罪悪感を感じながらやめるようにした。
びくつきながら始めたこれは、まだ一応破綻していない。
でも、たまに思ってしまうのだ。
「これ、私だけが無理をして変えなきゃいけない問題なんだろうか」って。

相手は自分が遅刻することに対して困っているわけではないのだから、困っている側であるこちらがきっと、柔軟に対応をしていく必要がある。
だけど、私、間違ってるかな。
時間を守って頑張ってきたの、正しくなかったのかなって。

いつも遅れてごめんねって、いつか待ち合わせ場所に先に来て、長い待ちぼうけくらいながら笑ってくれたらいいのになぁ。

お読みいただきありがとうございます! サポートいただきました分はnoteを続けるエネルギーに変換していきます。