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他者承認に振り回されがち

この夏、思い知ったことがある。
私は外部からの揺さぶりに弱い。トマトが衝撃に弱いようにジクジクとしていく。

「揺さぶり」と書いたけれども、私の気持ちがジクジクする要因は、胸ぐらを掴まれるような震度5強みたいな強さではなく、震度2くらいの言動・行動であったりする。
特に、身体が疲れていたり、自己肯定感が低くなっていたりする時は、大変に気をつけねばならない。気をつけないと、ものすごく極端な(私は誰の役にも立てていないのではないか、他人よりものすごくおとっているのではないか、といった)発想に至る。

その発想から抜け出す鍵は、他人との会話から得られることが多い。そう、「他者からの承認」である。他者も自分と同じ人間(当たり前)であるにもかかわらず、自分とは異なる価値観を持っているであろう他者から認められることで、自分の考えや行動が間違っていない、正しさを確認する、そして安心を得るということなのだと思う。

このように文面に起こしていて気付くのは、それは本質的なのか?ということ。
ざっくり言うと、それって大事?ということ。

いちいち他者の了解を取らなくたって、自分の了解が取れていれば自分を認めてあげられるのに。こうして書き起こさないと分からなくなってしまうのは、多分ちょっと疲れている。
こういうループから抜け出すために脱出方法を模索しよう。

「周りを気にしていたら疲れちゃうよ」と言った同期の言葉が頭の中でリフレインする。