愛おしい時間を取り戻す日まで
私は、”お酒”が好きだ。
お酒と合う料理が好きだ。
お酒の並ぶ空間が好きだ。
お酒を飲む人々が好きだ。
”お酒” 宛のラブレターが書けそうなくらいに。
お酒に纏わるアレコレが好き。
昨年は、そんな私と同じか、それ以上にお酒を愛する相方と、
それは、それは、よく飲みに出かけた。
振り返れば、
美味しいお酒を追い求めた旅も、
都心のディープな路地を彷徨ったハシゴ酒も、
近くのスーパーで買いこんだお気に入りのお酒達との公園ピクニックも、
今となっては、大変に貴重な、大人の息抜きだった。
都会は、他人とすれ違う頻度が高い分だけ、他人との関わりが希薄だ。
「日々の息抜き with お酒」は私たちの生活に欠かせないモノだった。
「乾杯」、「イェーイ」、「今日も一日お疲れさま」。
そして、時には、無言でグラスのふちを合わせる。
回を重ねるにつれ、自然と相手の表情や雰囲気に合わせて言葉を選び、
そこから飲み始めるのが、私たちの暗黙の作法となっていた。
しかし、飲む前の儀式は、いつしか形を変え、
限られた画面越しで行われるようになった。
”リモート飲み”
慣れてしまえばこんなに快適で楽しいものはない。
仕事で疲れた日には、近くのコンビニで買ったお高めビールを、
画面からちょこっとずつチラ見せして自慢したり、
冷蔵庫の余りもので作った、料理名の付けられない炒め物と、
秘蔵のお酒をペアリングしたり、と。
こうしてラフに始めれるのがすこぶる良い。
お酒が進んできたって、平気だ。
なんたって、待ち時間なしでトイレ行き放題。
コロナ禍という新しい生活のなかで、
私たちは小さく楽しむ知恵を手に入れた。
しかし、日々、模索と挑戦を繰り返すうちに、
私の "with お酒ライフ” は徐々に縮小されていった。
最初は、買い出しに行くのがめんどくさい、という小さな理由だった。
1週間分の食料をまとめ買いしようにも、
両手に荷物を抱えて歩くのは結構しんどい。
必然的に重量のある嗜好品の割合が第一に削られた。
大好きだったビールは飲み終わった後、缶が溜まってしまう。
頻繁に買わなくて済むからと奮発したウィスキーは、
炭酸水と氷の供給が追い付かない。
ワインは、コスパ重視のあまりに味の合わないものばかりが揃い、
いつしか冷蔵庫を占拠することとなった。
そうこうするうち、私は”うつ”になった。
身体からのサインは度々あった。
けれど、みんな頑張っているのだから私も頑張らなければ、
と見て見ぬふりをし続けた。
気が付けば、寝たいけれど寝れない現象とともに、
飲みたいけれど飲めない現象が起きていた。
お酒への愛は変わらないのに、なぜか飲みたい欲が湧かない。
これは、極めて異常な事態である。
幸いにも、”うつ”は軽度であり、かつ、周りの理解も得られた。
本当に有難い限りだ。
気分転換の為の散歩帰り、
コンビニで、秋仕様パッケージのビールを見つめる。
どんな状況でも季節はめぐる。
移り行く季節のなかで、
また新しい知恵を育んでいこう。
私は負けない。
私の、私たちの、愛おしい時間を取り戻すその日まで。