手の届くところにある幸せ。帰途につく時いつもそばにいてくれた〝あなた”へ。
真っ黒なスーツに黒い鞄、
家を出た時よりもホコリに汚れた靴。
頭上の番線と発車時刻表を確認するのにも、もう慣れた。
ちっぽけなひとりの若者には、広すぎて、
複雑すぎる東京から一刻も早く離れたい。
ホームに到着した車体にすべり込み、
号車番号と座席番号を入念に、何度も、確認する。
(絶対にこの席で合ってる。)
周りを確認し、ほんの少しだけ席を倒し、外を見る。
さっきまでの居心地の悪さが少しだけ遠のいて、
他人事になった街の明かりに、つい見とれてしまう。
(でも、今日の面接、なんか微妙な感触だったなぁ。)
カバンから就活ノートとボールペンを取り出す。
集めていた企業情報と、今日感じた印象は、
どこか少しズレていた。
私は将来何がしたくて、
どういう大人になりたくて。
それでいて、どんな職種に向いているのだろうか。
この就職活動は、学費を払って通い昼夜の別なく学ぶ日常を、割くに足るものになっているだろうか。
靴擦れ痕に触れぬよう、丁寧にヒール靴を脱ぎ、
売店で買った缶ビールとチーかまを取り出す。
(どうか隣の席にひとが来ませんように。)
祈りが通じたからだろうか。
発車のベルが鳴り、車体が動き出しても、隣の座席は埋まらない。
「ぷしゅ。」
この音とともに今日全体を振り返る。
(お疲れ様、私。なんだかんだ今日も一日頑張ったね。)
声には出せない分、ビールをひと口。
これを皮切りにビール、チーかま、ビール、チーかまと交互にやる。
みんな、もう就職先決まったろうか。
念の為アラームをかけて、ガタゴトと揺られていく。
(就活って企業と私のマッチングみたいなものだよね。合わないと思うなら「お祈り」早く頂戴。学生の時間だって有限なんだからね。)
ビールを飲んだからか、気が大きくなりそんなことを走り書きしたりする。
あれから、数年。一人で出張に出かける機会も増えた。
出張先から帰る新幹線は、スマホでチケット予約済み。
改札口を抜けると颯爽と目当ての駅弁とビールとおつまみを買い込み、ホームに入ってきた新幹線と併進しつつ、乗り込む。
席を確保し、後ろの席の人に許可をとりつつ、椅子と机を傾ける。
充電器を差し込み、一日使い込んだスマホを充電しつつ、駅弁とおつまみを机に取り出す。
缶立てに一旦、袋を下げる。
周りを見渡すと同じようにスーツを着たサラリーマンばかり。
女性よりも、年上の男性の方が多い印象をうける。
発車のベルが鳴り、車体が動き出すと同時か、よりフライング気味に、
「ぷしゅ。」
例に漏れず、私も音を発し、缶立てにかけたビニール袋をバナナのように剥き、冷えたビールを流し込む。
その光景に、私を二度見する通路反対側に座るおじさま。
人間の視野は案外広い。ちゃんと見えてます、二度見。
でも、もう、なんの羞恥心も湧かない。
そんな歳でもない。
だって、この時間は就活時代から変わらない、
自分へのご褒美の時間。
そして、今日一日の自分との対話の時間。
(今日も一日頑張ったな、私。
成果は何って聞かれても上手く答えられないけれど。)
そんなこんなで、私は電車の中で飲むビールが好きだ。
過ぎていく街や畑、人々の暮らしの明かりを見ながら自分と向き合う。
いつかまたそんな日が来る日まで。
愛しのビールよ、さようなら。